260 【身内】Secret
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……諦めさせたのはお兄さんなのに、
なんでそんなこと言うの?
わたしから離れて、勝手に消えて、逃げて
新しく女まで作って幸せそうで──
忘れてしまえるような昔の子どもひとりが、
…………ッお兄さんには他にたくさんの人がいても
わたしには、わたしにはずっと、
昔のお兄さんしかいないのに!!
[ どうして勝手に大人になったの。
どうしてわたしの知らない顔を他の女に見せてるの。
今からの貴方を諦めなかったとして、
貴方はわたしのモノになってくれるの? ]
[ 叶わない夢なら最初から星屑になって落ちてしまえ。
咲かない花なら最初から枯れて朽ちて消えてしまえ。
わたしのものにならないお兄さんなら、
いっそ過去に執着していた方が楽だった。
────なのに結局今の貴方の傷を欲しがっている。
相反した感情と憎悪と愛情。
矛盾を抱えていることくらい分かっていて、
途方もない夢だけは見ないように自制して。 ]
…………おかげさまで。
[ ここで可愛く愛想を撒けるような女の子だったら、
ここで、強がって突き放せるくらい強ければ。
なにかを探すように持ち上げられる腕を見やり、
そ、とすこしだけ頭を下げる。
────撫でられたいなんて、思う資格はないけれど
ふれられたいと、願ってしまって。* ]
[忘れることも覚えていることも
男には傷とならなかった。
より多くの人と過ごして経験してきたことを背負うには
一つ一つの思い出のウェイトを軽くしないと
動けなくなることを、人間の脳は知っていて、
それに強い意思を介入させた者だけが
その最適化をカスタマイズすることができる。
物理的に流れた時間は同じ。
ルミが自分との思い出のウェイトを変えまいと
懸命に抗った結果負った痛みは、
「今」手当てすることはできない。]
[だが、「今」痛んでいる彼女には間に合うと、
それを願ってしまった。
その想いが防衛本能から来るものと解釈することは
出来るだろう。
ストックホルム症候群と名付けたければそれで良い。
それで躊躇するくらいなら、動かしにくい腕に
無理に力を入れていない。]
俺だけを、想って、ここまでひとりで
頑張ったって・・…聞いて、
俺は、ふつうに感動した、けど。
[悪意なく取った行動を詰られることよりも、
「ずっと昔のお兄さんしかいないのに」という言葉の方が
胸を抉った。
会えない相手なんて忘れた方が楽な筈だ。
頑張る必要なんてどこにもない。
だが自分にだけ執着したルミは
生きることを放棄せず
自分への恋を何度も反芻して定着させた。
取った手段は犯罪だが、それに至る感情そのものには
感動としか言い表せない気持ちを産んだ。]
[ケホ、と咳をする。
無理矢理口を動かしたからか喉奥がヒリヒリする。]
……間に合わなかったか。
まーいいや。
[泣き止んだと聞いた。
本当かは知らないが、本当でも嘘でもやることは変わらない。
触った感触があった。
体温までは移らないほどの微か。
そこが頭でなかったとしても良い。
幾筋もの線が描かれた手首でも。]
いーたいの、いーたいの、
…っ、おーれが、たーべた、
[ぎゅ、と拳を握り、自分の口元へ。
上手く操作出来ずに自分で頬を殴ってしまったが、
口は飲み込む動きが出来た。]
10何年分だって食ってやる。
[流石に思い出した今は、消化活動については
口にしなかったが、
思い出し笑いで少し噎せたように笑った。
瞼の痺れが取れた。
最初に見る相手の表情は、どんな色をしていただろう。**]
[ 女は彼と違って、経験してきた物事が少ない。
生きてきた世界とてそもそも狭いような生き物だ。
多くの人々と経験を知るよりも、
閉じ切った閉鎖的な世界で身を守ることを好んだ。
思い出のウェイトは過去に寄り過ぎた。
痛みも重みも麻痺するほどに時を重ねて、
昔を反芻し、飲み込み、追体験でこころを誤魔化す。
過去を今に当てはめて息をしているだけ。
そうするのが楽で、なにも傷付かずにいられるから。 ]
…………なにそれ。
今更そんな、 体のいい言葉で騙されたりなんか……
[ ────死んでしまうのが一番楽だと考えたこともある。
こころを殺して生きていくより、
身体ごと死んでしまえばいいのかと。
けれど。
どうして苦しいばかりの世界で生きて来たのか。
死ぬことを別に恐ろしいとは思わなかったのに
──……それならば、なぜ。 ]
……
[ 愛されようと色んな人に愛想を振り撒いて、愛を買った。
金を渡して夢を買った。
いくら繰り返しても満たされないまま大人になって、 ]
[ 目的もなく生きていくのなら、それでも良かっただろう。
けれど傷を付けながら、
生きるために彼のアカウントを探って彼を見続けた。
それは間違っても感動する類の話ではない。
犯罪として背筋を凍らせることはあったとしても、だ。 ]
……べつに、最初から泣いてない。
[ 嘘だ。今更繕っても意味のないこと。
涙で罪を誤魔化すみたいで、それは──
そんなことはしたくないだけ。
ちっぽけなプライドだ。
わたしが泣いて許されるのは簡単だけれど
それを見せられる彼の気持ちはどこにいく? ]
[ 彼の手が僅かだけ、体温も移らないほどかすかに触れる。
頭を少し下げただけでは届かなかったのか、
力の抜けた腕は、頭の代わりに醜いわたしの手首を撫ぜる。
長袖を着て見えないように誤魔化した過去の傷痕。
現在を生きるために過去で裂いた血肉の痕。
────ひきつれた皮膚越しに感じた彼の指は
おんぶして背負ってくれた時とは程遠い。
弱々しさだけが胸を打つ。 ]
────────……ッ
[ なにをするのかと見ていれば、貴方は。
あの甘えとはまた違う懐古を連れてくる。 ]
[ 噎せたように笑う姿が理解出来なくて、身体を引いた。
どうしてこの状況で今彼は笑えるのか。
なにも覚えていないくせに、
どうして二人のおまじないだけ鮮明に見せてくるのか。
ここで都合よく受け止めて幸せになれるような、
お気楽で軽くいられる性格はしていない。 ]
……なに、お兄さん、意味わかんないよ
今痛いのは、そっちの方でしょ……?
上手く腕も動かせないのに、
[ 自分の頬を殴ってしまっていたのを思い出して
恐る恐る、頬の怪我を確かめようと指を伸ばす。
触れられるのは、彼にとっては怖いことだろうか。
躊躇うように指先が空を彷徨って、 ]
[ 迷子のような、悪さをした子どものような。
顔立ちばかりが大人に近付いた女のかんばせは、
どんな言葉も似合わないマーブルカラーだ。
背後から急激に匂い立つ過去に戸惑って、
責め立てるのではない彼の反応に怯えている。 ]
………………せっかく今日の為に
お金も貯めて、お兄さんのことたくさん調べて
チャンスをモノにしようと思ったのにな。
いいよ。もう。
────なんにもしないし、抵抗しない。
警察でも何でも、連絡して良いよ。
[ やめてよ。
今更どうしてこっちを見ようとしてるの。
頭のおかしい犯罪者で、ストーカーなんだから、
昔と同じ仕草で、言葉で、やさしくしないで。 ]
……わたしの十数年なんか
嘘でも食べちゃだめでしょ、お兄さん
痛くなっちゃうよ……ほんとにさ。
[ 呟き落とすように咎めて、目を伏せる。
相変わらず跨ったままの体勢だと
彼の顔が嫌でも良く見えた。 ]
………… ほっぺた、怪我は?
[ 自分が気にしていいことではないかもしれない。
けれど、自分の仕込んだ薬の影響ともなれば
資格がないなんて理由で放置もしたくはなくて。
両腕を下ろしたまま、小さく尋ねる。
敵意がないと示す唯一の手段だった。** ]
だまし上手なら、だまされるこた、
ねーんじゃね……?
[人を騙そうとしたことはあったか。
幼い頃の悪戯でしたことはあったかもしれないが
覚えていない。
思い返せば悪意を持つ経験には乏しい人生だったかもしれない。]
うそつきー。
ないてた、だろ。
[見えていた訳ではない。
涙に触れた訳でも。
だが確信を持って断じた。]
[手が触れたのは髪の毛ではなく、
頭はやはり撫でさせてはくれないかと思う。
偶然触れた布地の下の皮膚隆起。
痛みはもう生じない場所の「痛かった記憶」を飲み込んで。]
……おー、いてー、わ。
でも、いたくしたかったン、だろ?
「ざまぁみろ」じゃ、ねーの?
[視界にルミの表情が映る。
弱った自分を見て溜飲が下がったと思っているようには見えない。]
な。
たとえば、あのまま俺がルミのナカに出して、
その後は、どうするつもりだったか、教えてよ。
[自暴自棄な言葉には答えず、視線だけルミに合わせて。]
けがは、どうだろな。
まだちょっと痺れた感じある、しなぁ……。
俺が痛いの心配する顔、ルミのままじゃん。
全然違うストーカーになったんかと思った。
……なりたかった?
[先程よりは動かせるようになった手で、降ろされた腕を掴む。
大きくなった彼女は自分の痛みに対してどうするのか。
当初の目的は、痛みを与えることだったようだが。
今もそれを望む女なのだろうか。
それとも、彼女がずっと持っていてくれた思い出の通り、
自分の痛みを食べてあげると言った優しい女の子は
まだそこにいるのか。*]
[ 幼い頃は子供騙しにもならないことばかりだった。
隠れきれず、丸わかりの状態でかくれんぼをしたり
お花の指輪は、すぐ編めるくらい簡単だと偽ったり。
傷付けるための嘘には乏しかったはずだ。
────気付けばすっかり嘘つきに育ってしまったが。 ]
だから、……ッ、
[ 泣いてないと否定しようとして、言葉を呑む。
彼の声音に宿った確信を感じ、
言葉の投げ合いをするよりも引くことを選んだのだ。
多く語るほど、過去の傷が痛むから。 ]
──────そ、れは
[ すぐさま反論を紡げずに、掌を握り締める。
そうだ、自分は彼を傷付けたかった。
夢の中で一方的に会い続けることより
傷の先で思い出して貰うために。
この際、目的が完遂出来ないなら
頬の痛みでもなんでも良いはずではないのか。 ]
……ッは、
忘れてたのに……忘れてるのに
わたしのままなんて、よく言えるね、お兄さん
[ 視線が交わる。過去と今が交差する。 ]
[ ぜえ、と肩で大きく息を吸った。
掴まれた腕を振り解こうと、──振り上げようと
動かしかけて、力を抜いて、また勢いに任せようとして
──繰り返すたびに喉を掻き毟って死にたくなる。
ここで首でも絞めてやれば。
彼には一生忘れられない記憶として残るだろうか。
ここで頬でも殴ってやれたなら。
みっともなく縋り続けていた過去を全部捨ててでも、
目的を成せる存在だったら。 ]
──────……、わから なぃ、
[ まるで破れたページを継ぎはぐように。
細切れで、強張った話し方だった。
妙に冷静な頭が、彼の問いかけの答えを探している ]
わたしには、これしか出来なかっただけ
……こうするしかないって、おもった、だけ
お兄さんのこと探して、調べて
昔の断片を見つけて…………
お兄さんはわたしがいなくたって楽しそうで
わたしは、昔のお兄さんしか、いなくて。
思い知れば、傷付ける覚悟が出来るって思った、の
──────……そうすればもう、
[ あの公園に行かなくて済んだんだよ。
楽しかった過去を、本当は美しいだけの思い出を、
綺麗なまま封じ込めて死ねたんだ。 ]
実るわけないこの馬鹿みたいな恋を
叶えたがってる自分を殺せると思ったから………
[ 執着なのか偏執なのか刷り込みなのか。
誰に何を説かれたって響かない。
わたしにとってはこれが、わたしの恋。
これが恋ではないなら愛なのだろう。
愛ではないなら、
そう思う人の方がおかしくって、恋を知らない。 ]
…………べつに、あのまま続けてたとして
お兄さんを子どもで縛ろうなんて気はなかったよ。
アフターピル……避妊薬持ってるから、それ飲んで。
明日から実家、帰るんでしょ。
さっきスマホのパスワードは盗み見ておいたから
実家にお兄さんのフリして、帰らないって連絡して。
長期休暇の間だけ、この家にいてもらう気だったの
──それで……何をしても、どうなっても、
わたしを忘れられないくらい傷付けてやろうとしただけ
[ 犯罪だよね。そんなのも覚悟の上だよ。
言って、わたしは飾られたブランドバッグを見た。
もう連絡も絶えた昔の客からのプレゼント。
売れば高い値段がつくような代物。
可視化されたわたしの価値。 ]
[ お兄さんの痛いのを食べてあげるね、と笑った子どもは
今や呑み込めないほどの傷を付けたがる化物だ。 ]
そしたら、逮捕とかされるのかなって。
慰謝料とかの準備もしたし。
もしあれを見てお兄さんが利用価値を持ってくれたら、
それでもいいなって思ってた。
そういうのも含めて、いっぱい働いて
……頑張ったんだけど。
[ 現実は、想像のように上手くはいってくれないか。
自分で自分を殴った彼を見ただけで
怪我を心配してしまう甘さも弱さも抜けていない。
────昔なら、 ]
[ 息を吐く。
なりたかったものは、愚かにも見た夢は。
なれなかったものならよく知ってる。
昔の記憶に置き去りのままの幼いわたし。
痛みも食べてあげると息まいた世間知らず。 ]
……薬が抜ける間の時間稼ぎにはなったんじゃない?
ほら、もう良いでしょ
だまされてあげるから
……さっさと離してよ、お兄さん
[ 今ならまだ、間に合うよ。
妙な同情心でも湧いちゃった?
やっぱり嫌になったでしょう?
それでも今なら許してあげるから。* ]
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