153 『Override Syndrome』
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| [心療内科は誤解と偏見が蔓延している。 人の心を分かった気になり踏みにじる人が 患者の気持ちを遠ざけて。 心を閉ざした患者は心療内科から逃げ惑い、 行く宛を無くした先に待つのは……… 鉄格子に囲まれた廃材置き場。 ] (0) 2022/06/14(Tue) 2:20:29 |
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いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、 いや、癈人《はいじん》という刻印を 額に打たれる事でしょう。
人間、失格。 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。 (1) 2022/06/14(Tue) 2:21:22 |
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いいえ。
そんな未来を辿らせないために W心療内科Wはここに居るの。 (2) 2022/06/14(Tue) 2:22:57 |
[投げかけた声は微妙なタイムラグを経て
私の元へと返ってくる。
今日最後の患者さんが応じれば
看護婦の子達が今日の診察受付の終わりを
告げる看板を入口にかけ始めていた。
おぼつかない足取りのまま焦って
あなたが転ばないように見守った私は
あなたが目の前に辿り着くと小さく微笑み。]
はい。こんにちは。
来院は初めてですよね?
緊張しなくても、大丈夫ですよ。
[アイスブレイクをもちかけてみる。
あの頃とは大きく異なる姿のあなたに
微笑みかける私は、あくまで医者の顔。
見た目に触れないのは
ここで触れることが誰の幸せにもならないって
そんな感じがしてならなかったからだ。
]
[診察室の中へとあなたを通せば
どうぞと手のひらで椅子を指し示す。
先程までの穏やかな声色は
今になればその深刻さも伝わってくるもので。
途端に曇っていく姿を、
目を逸らすことなく、私は受け止めようとする。]
[悲鳴にも似た残響、ひび割れた円盤。
壊れたレコードのように繰り返される挨拶が
あなたの脳内での消化不良を物語っていた。
けれど私があなたの異変を感じたのは
楽園を探し求める、その指先。
あなたが向かいそうな行く末が
頭の中に流れ込んでくるような気さえして。]
[瞳を覗き込むようにあなたを見つめながら
私はその頬へと手を伸ばして。
それが叶えば、どうか落ち着くようにと
その頬を優しく撫ぜると。]
気持ちが沈んだ時には
ハーブティーが良いの。
薬に頼らなくても
気持ちを落ち着かせられるから、ね?
[診察室に似つかわしくないティーポッドと
マグカップを取り出すと、診察室中に
爽やかなミントの香りを漂わせて。
あなたが受け取るかどうか
ハーブティーの入ったマグカップを差し出す。]
[どれだけの時間を要したのか。
決して焦らせたりすることはなく。
あなたが椅子へと座ってくれたのなら
私はハーブティーに口を付けて。]
今も…大変そうだね。
W佐々岡くんW
[問診とは名ばかり。
あの日の続きを、私から切り出して。
先程の仕草からOverride Syndromeを疑いながら
慎重にあなたの心の問題に触れるように。
あの日の過去をなぞりながら、微笑ってみせた。]*
[ 目の前の笑みは、低レベルの解像度で
網膜に映る。
頭がいいって、苦痛だ。
忘れない、忘れられない、
忘れてくれない。
記憶。刻まれたメモリ。
艶やかな髪。穏やかな表情。
目を閉じて、開く。
肺の奥まで酸素を吸って、同じだけ吐く。
勧められるままに腰を下ろした。 ]
─── はい、初めてですね。
べつに、緊張していませんが
ずいぶんお若い女医さんで驚いていました。
[ しっかりと合わせているようで、
自分の視線は相手の鼻の位置にある。
逸らされることのない視線を真っ向から
受け止めることがいつからか
こんなにも恐怖と同義になっていたことに気付く。]
自分にとって、「世の中」は
やはり底知れず、おそろしいところでした。
[ 伸びてきた手を避ける動きが遅れた。
ひたりと触れる柔らかな掌が頬を撫でる
咄嗟に腕を曲げて、
たたき落とすように振り払った。 ]
あ、……あぁ、ごめんなさい。
触れられるのは、苦手なので。
その、特に、顔は。
[ どくん、どくんと心臓の拍動が全身を駆けて響く。
驚かせてしまったか傷つけたか、
それともこんなことは日常茶飯事なのか。 ]
[ 呼吸を整えている間に、流れるような手つきで
差し出されたのはマグカップ。
いかにも高級だと分かるような
造形のものだったか、薄く繊細なものだったか
いずれにしても己が心を動かすものではなく。
ただ、受け取った。
部屋の中の空気に妙な匂いが混ざって不快で
酷く眩暈がした。 ]
ハーブティ……ありがとうございます。
[ カップを口に運ぶ動きさえ絵になる、と思った。
あの日、約束したコーヒーではなくて。
解像度が上がる。鮮やかに蘇る。 ]
……でも、結構です。
吐き気がする。
コーヒーのほうが好きなんですよ。
あと、俺は特に大変ではありませんし
今"も" というのは
あまり聞いていていい気持ちはしませんね。
─── ご無沙汰しています、古森さん。
[ カップから湯気が立ち上り、
顔に煙幕に似たヴェールがかかる。
過去をなぞり優しく微笑む医者に
俺が感じたのは、猛烈な嘔吐感。
そしてその嘔吐感に、陶酔する。
ポケットの中で、イヤホンが転がっている。 ]**
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───閑話:幸福の裏側───
(23) 2022/06/16(Thu) 0:24:31 |
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[当たり前のように得ていた幸福。
望まずともレールから外れない 安全で、楽で、不安定な人生設計。
そこには自分の手で掴み取った幸福なんて 何ひとつありはせず。 誰かに依存し、施しを受けて得た幸福は そのW誰かWが消えれば簡単に崩れ去り その先に待ち受ける未来は、破滅しかない。
結局全ておこぼれにすぎないんだって、 いつも心の奥底で、怯えていた。]
(24) 2022/06/16(Thu) 0:26:06 |
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[大学時代に彼を襲った悲劇。 その一部始終を見ていた私は今も忘れられない。
あの出来事には、身が竦む思いだったのだから。]
(25) 2022/06/16(Thu) 0:26:52 |
| [何かの拍子に未来が変われば 私がW佐々岡 嗣朗Wになっていたかもしれない。 それはたらればの話であっても 現実的に充分有り得る話。 私は彼とも、Override Syndromeに苦しむ W可哀想Wな患者たちと大して変わらないのだ、と。 私の平和は何かの拍子に簡単に壊れるものだと、 奥底に眠る薄汚れた感情と恐怖は、 燻り続けて消えることを知らなかった。] (26) 2022/06/16(Thu) 0:28:07 |
| [いつからのことだろう。 Override Syndromeに苦しむ人達を 救おうと日々奮闘する傍らで、 彼らを見ると酷く気分が落ち着いてしまう。 W私はまだマシなんだ。W
W私より不幸な人がいるんだ。W
痩せこけた自尊心を満たすために 私には彼らが……不幸な人達が、必要だった。] (27) 2022/06/16(Thu) 0:29:37 |
| (28) 2022/06/16(Thu) 0:31:23 |
***
ごめんなさい。
緊張してるのかとばっかり。
[若い医者は信用ならないという話なのか。
いいえ、きっとそんな簡単な話でもない。
手を振り払われればその手を引っ込めて
それは嫌悪か、拒絶、か、それとも。
距離感が近すぎることを素直に謝罪すると
少しずつ彼から目線を外した。]
[解像が整えば整うほど明らかになる。
あの頃をなぞっているようで、全く違う世界。
ハーブティーとコーヒーが異なるように
私が見ていたあなたと、あなたの知るあなたは
全く別の存在のようで。
花柄のティーカップは
清涼の役割を果たすことも出来なかったみたいだ。]
そう。それは残念。
[どんな形であれ、拒絶は日常的。
この仕事をしていれば慣れたもの。
あなたに拒絶されてしまった
ティーカップの縁を指先でなぞると。]
コーヒーはW心療内科Wには
あんまり似合わないかもね。
[あの日約束したまま終わった事を思い出す。
コーヒーは、心療内科としてじゃなくて
普通の一人間として嗜みたいものだから。
ハーブティーをテーブルの隅に置くと
今度は問診票に目を通して、首を傾ける。]
そう…?ここに来たからには
大変なんだと思ってた。
大学の時の佐々岡くんも
なんだか無理してそうだったから。
[だとしても言ってはくれないだろうか。
それとも本当に自覚がないのだろうか。
より事態が悪化しているとすれば後者の方。
あなたの言葉がどっち側の言葉なのか
私としては気にならずにいられない。]
[私は『OS疑い有、要検診』と書かれた
問診票をテーブルに置き直すと
気を引き締めるようにグッと背筋を伸ばして
それから深呼吸を済ませて。]
ならW心療内科Wのカウンセリングは
やめておきましょうか。
W個人的Wにも
あなたに聞きたいことがあるし。
[形式張った問診の終わりを告げると
ハーブティーを一度片付けて。
棚に仕舞われた病室に似つかわしくない
クッキーやチョコレートの数々を取り出すと
最後にドリップコーヒーを見せて。]
こんな場所でも
W私とあなただけWなら
コーヒーがあった方がいい?
[もしあなたが首を縦に振るなら
その時は二人分のコーヒーを入れて
あの日の続きへと誘うだろう。]**
***
[コーヒーがそこにあったかどうかはさておき。
問診の時間から個人的な時間へと移すと。
私はあの日聞きたかったことを尋ねる。
そういえば。
あの日も、今も、背景に転がるイヤホンが
妙に気がかりで目についていた。
今にして思えば、そういうことなのだろうか。
]
あの日の論文、私も後から読んだんだ。
でもあなたから直接聞きたくて。
佐々岡くんからその話を聞けなかったのが
ずっとずっと、心残りだったの。
[あなたに見せたのはあなたの論文のコピー。
研究者として書かれたあなたじゃない名前は
怒りと共にペンで激しく塗りつぶされていて。
その上の空白の欄に
自分であなたの名前を書き記していた。]*
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