(a7) 2020/10/03(Sat) 21:30:51
[遠くにひぐらしの声を聞きながら
影と二人、席に着く。
お互い実体があったら二人並んで
放課後の自習……みたいな感じだったのかな。
耳に息を吹き込まれたり、話し掛けられたり
そんなことされてるなんて夢にも思わず
俺はペンを走らせていく。
さりさり、ペン先の回る音は一つだけ。
なのに、書きたてのインクが、
触れても無いのに
すっとあらぬ方向へ尾を引いた。
相手の呼吸音すら聞こえない距離で
俺は静かにアキナに語り掛けるだろう。]
[そう、この童話集にはハッピーエンドのが
いっそ珍しい部類で。
意匠を凝らした絵本の1ページみたいな
綺麗な風景……人ならざる純粋な生き物が
人の醜さ、強欲に飲み込まれて
失意のまま物語が幕を閉じるのが多い。
人は醜い、汚い。
その世界に没入して、被害者の側に
自分を投影することで、
自分自身の汚さからは目を逸らす。
そんな楽しみ方、作者が聞いたら怒りそう。
─────ともかく、『金の輪』も
ハッピーエンドとは言い難い話。]
[もちろんそんなことはしないけど。
「世界の違う」天国とやらに辿り着いては
全く意味が無いんだ……そこに菜月がいないなら。
自分でも、会ったことの無い人間に
ここまで入れ込むなんて滑稽だと思う。
隣の影を覗き込むようにしても
結局その表情は計り知れないし
俺の目頭がじんと熱いのも、
きっと、菜月は知らない。
─────ああ、夜が来る。]*
[書きかけた言葉は、心の中にしまったまま。
口やSNSだと勢いで言ってしまっても、
手書きの文字だと考えこめる。
勢いで、伝えちゃえればよかったのに。]
クラスメイトに声をかけたの、頑張ったね……
[聞こえないのは分かっていても、自分の声も使う。
多分、私は友君にとって、苦手な人種。
クラスに一人や二人いる、物静かな子たち。
そういう子から、私は怖がられる。
話しかけても目を逸らされて、
一刻も早く会話を切り上げたい、
そんな意志をひしひしと感じる。
だから、友君がクラスメイトに話しかけるとき、
どれだけ勇気を振り絞ったかは、
想像できる気がした。]
[友君の言葉は、どんなに温かい言葉も、
消
えてしまう。
フリクションのコバルトブルーを、
黒板みたいに書いては消してを繰り返したから、
紙面はすっかり毛羽だって、よれよれで、
青いインクは染み込んで、少しずつ消えなくなっていく。
SNSだったら履歴が残るのに。
便箋がたくさんあったら、本だってできるのに。
神様が与えてくれたのは、たった一枚のダサい便箋で、
友君からもらった言葉がどんなにうれしくても、
形には残らない。
せめて黒板みたいに頑丈だったら、
ずっとやりとりができたのに、
本当に、神様は残酷だ。
それでも、限られた条件の中でも、
私が臨む景色を、見せてあげられてたかな。]
[私はわざと大げさに口元を抑えて、
笑顔を伝えようとする。
表情が見えなくたって、ボディランゲージなら見えるよね。]
[私たちも夜に塗られて、
一つの大きな闇になった。]
[次の日も、その次の日も、私は図書室へ通い詰めた。
少しずつ、私たちの世界の差に目を向ける。
目をそらしていた溝の、絶望的な深さを知る。]
[卵60個食べて筋骨隆々になったのは
確か町一番の変わり者に恋した力持ちだっけ?
本ばかり読む変わり者には
ぴったりかもしれないけれど、それはさておき。
滑るペン先を見つめる瞳が
じっと紙に注がれているのを感じながら
俺はくるりとペンを回す。]
嘘なのかよ。
[聞こえてないだろうけどノリツッコミ。]
[でも、ほら。
俺なりのプロポーズに
隣の影が大仰に驚いてみせて。
(そういう反応が女の子なんだよ)
心の中で語り掛ける。
しばらく待っていると、
震える黒炭の筆跡が、ゆっくり、ゆっくり
菜月の気持ちを表してくれる。
強くて、背が高くて、女子っぽくない菜月の
やわらかくて、繊細な心の中を。]
[窓の外が暗くなっていく。
星も見えない真っ暗闇が、
図書館の中を満たしていく。
紙が、もう見えない。
シャーペンの軌跡も、ブルーのボールペンも
ダサい天使の描かれたピンクの便箋も
全部全部、黒一色に染め上げられて。]
[その一瞬、隣に座る影の手に
俺は自分の手を重ねた。
結局その手は何にも触れないまま
すとん、と木の机に受け止められたけど
心做しか、辺りを包む暗闇は
とくり、脈打つような温かさだった。]*
[「大事にね。」の文字が掠れた。
黒や赤より使わないから、と選んだ青いインクが
もうすぐ無くなりそうになっている。
別に違う色のインクを使っても
菜月は何も言わないだろうけれど
─────何となく。]
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