【人】 千早 結[初めの頃は、不安と他人事の間を行き来する夜もあった。どこか「多分死なないだろう」と思う自分と、「ああ、死ぬんだろうな」と思う自分が客観的に存在していた。 確かなのは治療をしなければ死ぬと言う事。 治療をしても生存率は三割という事。 それも個人差があるので不確定だと言う事。 治療に入ればあまり外には出られなくなり、薬の副作用は想像を絶するものだという事を知った。 病気の事は画廊のオーナーにしか話していない。いや正しくは同ゼミの友人と教授達には話したか。休学して治療に専念して帰って来いよとか、言葉を失い目を潤ませたりだとか、絶対に治るだとか。 多分ぼくが同じ事を言われても、返す言葉は似通うのだろう。どれもこれも空虚に感じた。きっとぼくの生きてきた道は、 ぼくが空虚と思うように、波風を立てないようにとする程に、希薄なものだったのだろう。 ぼくには強い情熱も未練も後悔するほどの醜い爪痕もない。それは誰かにとってはとても辛い事なのかもしれないのだが、ぼくはどこかで羨ましくもあり、哀しくもあり、美しいものだと思っている。生きている証でもあるのだから] (122) 2022/08/10(Wed) 0:23:00 |