「…………い、いやっ、別に」

今更恥ずかしくなってきた、なんて言ってもまた伝わらない気がしたから言わなかった。また顔が赤くなってなければ良いけど。そんなことを考えながら。

「…………じゃあ、借り、る」

いつだかにやったように、あなたと膝を交互に見て。
どこか観念したように近づいて。ぽす、と頭を膝に乗せ寝そべった。

下からあなたの顔を見上げて。ただ静かに。じっと見据えて。

「…………ッハハ、くすぐった」

くすくす、からからと嬉しそうに喉が鳴る。
額の近くに置いてある手は、引っ張って自分の頬へと持っていってしまおう。嫌がられないなら自分の手と重ねて。

そうして首を傾げたあなたを見つめて。
別に言うことなんて特にないけど。

「…………、」

使っていない方の手を伸ばして、あなたの頭を撫でてしまおうか。

嫌がられないならそのままだ。
男もまた、あなたを真似るように親指で重ねた手を撫でて。

「…………ッハハ、なんも言わねーの……？」

掠れた、それでいて無邪気な声が空を揺らす。
ちょっとしたイタズラ心と、ちょっとした労りを込めて撫でてみただけなんだけれど。

「嫌なら嫌って言ってもいいんだぞー……アルレシャー……」

「…………ああ、」

そっか、とだけ小さく音にして。
最後にさらり、髪を撫でた手は自分の胴の上に置いた。

「まあー……わかるけどさー……」

嫌じゃないとわかっても、どこか不安になったから、なんて。

音で分かってる気になって、本当は分かってないのかも、なんて。


男はおもむろに起き上がって。膝立ちで。あなたの方を向いて。

「…………、」

どこか困った顔であなたを見つめ。


あなたの両の肩を掴む。
許されるならば。抵抗されないならば。
そのままゆっくりと後ろに倒してしまおうか。
強い衝撃があるといけないから、頭の後ろに手を添えながら。

「…………、ンン」

男は避けたりはしない。大人しく撫でられるのだろう。


「…………これも嫌じゃないの？」

掠れた声。きっと顔は近いから囁くように。


「…………嫌じゃないなら……もうちょい甘えさせて」

散々好き勝手しておいて、今更そんなことを問う。

「……なんでだろうなー……」

自分でもよく分かってないような物言いで。


大人しく撫でられている。このまま動かなければずっと撫でてくれるのかな、なんてぐるぐると考えてしまう。

「…………、…………、起きるまで傍いて」

考えてから。考えてからそう口にした。


許されたのならいいか、と。あなたの隣へと寝そべって。
そのまま抱きしめてしまおう。そして顔の位置はあなたの心臓の近くが好ましい。撫でる手が止まったら再び強請ってしまうかもしれない。

「…………、」

許されたからいいよなと自分に言い聞かせて。
目を閉じて。甘えるように擦り寄るような動きをして。
落ち着くなと息を吐いて。

「…………ッハハ、寝たくねーな……」

寂しさを含んだ掠れ声が自分の脳を揺らした。
寝たくもないし起きたくもない。


疲れてるんだなと思い込んで寝たフリでもしてしまおうか。
そうすれば意識あるまま長い時間を共にできるかな、なんて。

少しだけ強い力で抱きしめた。

音は、振動は、男に世界を与えた。そして兄もまた男に世界を与えた存在だったのだ。頭の悪い自分をいつでも導いてくれていた。だからこそ今はその人が分からない、分からなくなってしまった。



抱きしめられれば、男も少しだけあなたの方へと身体を寄せるだろうか。震えは止まらないけれど、それでも。
あなたの問いにゆっくりと涙の滲む目を開いて。

「俺……俺、は……もう、取り溢したくない。取り溢して、後悔に塗れて生きていくなんてクソは……もう、ゴメンだ。一生やらねぇと自分に誓う」

「……もし会えたら聞きたいとかじゃねえ。
　」

その目は、音は、どこまでも真っ直ぐで。

「なあドギー……」

力強く。その意志を証明するかのように。
あなたを見つめ問うだろう。

「だって――」

撫でる揺れが優しくて心地が良い。
だからきっと、それを言われていたら寝た後もやってて、と強請っていただろう。拗ねた態度で口を開けば、

「――アンタは俺のもんになんねーじゃん……」



慌てて、反射的に身体を少しだけ起こした。
混乱の音、困惑の音が自分の中で響いている。


「…………、なんか今日、、」

きっと最後まであなたの優しさに甘えてしまう。



だから帰れるか問われた際も首を横に振って、あなたの服の袖を掴み部屋まで帰ったのだろう。
赤い目元のままで無邪気に「アリガト」とお礼を言って、優しい音のするあなたと別れました。

音で分かっても、人間は分からないことだらけだ。
式の形を知れても馬鹿な男にはイコールの先の答えが出せない。その事実を置き去りにされてからやっと思い知らされた。もう遅いのに、後悔だらけで、苦しくて。


僅かにノイズの剝がれた『あなた』の音を聞く。

あなたは兄ではないのに。
アンタは兄貴じゃないのに。その言葉は俺がずっと追い求めていた答えのようにも聞こえて。

「……馬鹿野郎」

弱々しくそんなことを口にして。

「俺らは一緒なんだよ……切っても切れないんだ……なんだよ……その音を……感情を、自分だけ持ってるみたいな言い方しやがってさ……」

「俺はアイツと違って耳が聞こえなかった。俺はアイツと違って頭が良くなかった。俺はアイツと違って泣き虫で、物覚えの悪い出来損ないで、ギター弾くくらいしか取り柄がなくて、」

「…………きっと同じだった……」

あなたは兄ではないけれど。
避けられないならば、頭へ手を伸ばして撫でてしまおうか。
その行動が許されるなら、両の手で犬みたいにわしゃわしゃと。

「――――……違う」

これは"生き返った直後だから"に対する返答だ。


この男は素直だが、それは反発する際にも言える話だ。
どこまでも愚直で、分かりやすくて、だから今もまた。

身体を起こして。あなたの上、押し倒した時と同じ形。
両の手をついて。あなたの顔がよく見えるようにして。

「無礼講の間しかいないのが嫌って話」

じっとあなたを見据えて音にした。

逃れないのなら撫で回すまでだ。わしゃわしゃと、でも優しめの力加減で。でも別に、兄に会えたらこれをやりたいと思った訳ではないのだ、決して。

男は『あなた』を撫でたかった。ただそれだけ。

「……ッハハ、分かってる！　言われなくてもそのつもりだぜ」

「なんなら、さっきより上手く演ってみせるさ」

「leaf beetle……ファンの期待には答えねェとな！」


くすくす、からからと喉が鳴る。
嬉しい時、楽しい時に無意識に零れる音。

男は真っ直ぐにあなたを見据えて。
ただただ素直な音を無邪気に響かせたその後は。
両の手を大きく広げてあなたとハグを交わそうか。

嫌がられていない。そういう音がしないのなら。

だとしたらこの違和感は何なんだ？


「そういう話じゃない。……アンタならわかるだろ」

真剣な眼差しはそのままだ。そのままあなたを見て。
茶化されても諭されてもきっと弾き返してしまう。
逃がしもしない。

「なあ、なんで……なんでそんなに辛そうなんだ？」

「俺、アンタを困らせてる？　嫌なことしてる？
　…………、こういうの、聞かれるのも辛いか？」

この男はきっとどこまでも真っ直ぐで、純粋で。
だからこそ飾りっ気のない、混じりっ気のない、ノイズの少ない『あなた』も『あなた』として見ることができるのだろう。



「おうっ！！　」

その表情と音に、先程のような震えや寂しさは無い。
だってあなたが見届けてくれると言ってくれたから。
出来損ないの機械は出来損ないのまま高らかに音を鳴らす。

「…………って、わーッ！！！！」

撫で返されればさっきみたいにからからと喉を鳴らして。
きっとこんなやり取りも兄弟のように見えるのかも、なんて。

「………………ッ」

目を逸らされ。口の動きを見。やっぱり苦しいのだろうか。
だとしたらこの姿勢は息が辛いだろうか。

一度だけごめん、と断りを入れて。
背を支えながらゆっくりとあなたを起こそうとするだろうか。
手はそのままあなたの背に添えて摩って。

「……困らせたンならごめん、」

困らせる原因となったのは理解できる。
だから謝った。あなたは何もしていないのだから。

「そういう話……じゃないと、思う？……なんで、なんで？　なんで、だろう、」



「なんでとかわかん、ない……理由がなきゃ、ダメなのか……？」

「…………そっか」

横に並んで座っているだろうから。嫌じゃないなら。
摩る手はそのままに、もう片方の手で自分の方へと寄せてしまおうか。

「……ン、大丈夫だから。アンタは悪くないよ。……ウーン、なんで、……どうしてだろうなー……俺もよくわかんない、けど」

「納得は……してるかなー……」

「…………、」

身体を預けられれば、大丈夫だと言わんばかりに背をポンポンと叩いて。寄り添う形で軽く頭を寄せようか。

「フッ……ッハハハ！！　アッハハ、おもしろー……」

くすくす、からからと喉が鳴る。
あなたの言葉を聞いて。
結構面白かったらしい。

「逆になんでトチ狂ってるー……とか思うの？」

声に出しての笑いが終わった後も。
くすくす、からからと楽しそうに喉が鳴る。


「いや、おもしろくって……
　ンーンン、たまにだと違う……ずっといて欲しー……」

身体はずっと傍に。

「つか……なんで自分のコトこんなん、とか言うの？　さっきの言い方もなんかそんなカンジだった。から、そこがちょっと気になるんだけど俺」

自分を卑下するような発言に疑問を持った。

考える時の癖、小さく左右に数回だけゆらりと揺れながら。

「こっから出れたら違うかもしんないじゃん？」

刑期がいつまでかは知らされていないが、あるかもしれない可能性をきっぱりと口にして。


「だからなんでそう思うんだよって話」

こちらも酷く完結に。


「あー……あー……？　多分ムリだと思うけど」

こちらはあなたの考える通り。興味が逸れることはないと自覚している故に、ああ言えばこう言う状態で手放さないよう寄り添っている訳だ。

男は噓が得意ではない。都合の悪い事は黙る癖があるのだ。

「…………、まあね……いつ出れるかなー……」

寂しさが掠れた声になり空を揺らす。


「今までが何かわかんないけど……そうじゃないだろ」

少なくとも男にとっては違う。


「なんでだろうなー……そう思っちゃうモンはしょうがないー、じゃあアンタ納得しなさそうだもんな……ンーン」

そしてちょっと困ってきた。気持ちを上手く言語化するだけの頭がない。なんなら自分でも自分の気持ちをよく理解できていないのだ。息を吐いて肩を落としつつ。

「別に……理解してくれって話じゃないよ。
　ただ俺はアンタのことが好――――……」

前言撤回です。いい加減に気付いたかも。

「…………、ン」

憎悪の音。怒気の音。自分に向けられたものでないと理解できる。だから何も言わず少しだけ、少しだけあなたの方に身体を寄せた。

「…………、そっ、かあ」

そして、そう言われてしまえばもう自分が言える事はない。
他人にとっては違うとしても、自分にとっては当たり前だという障害能力が自分にもあるから、だから、

「　ちがいます。
　聞こえない聞こえない、なんも聞こえない！」

聞こえなかったとしても振動で分かるんだよなあ……
咄嗟に出た照れ隠しです。顔も赤い。もう恒例だろうか。

「もーマジでやだ……俺……クソカッコ悪い……」