45 【R18】雲を泳ぐラッコ
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……はい……。
[何も言えないまま頷いた。
両手の怪我を言い訳に、彼女の後を追う事もなかった。
追ってどうする、とも思う。
彼女に掛ける言葉も持っていないのに]
[彼女が去ってしばらくして、ぽっぽと顔が熱くなった気がした。
照れているからではない、と思う。
知恵熱でも出ている様な気分。
そんな己が、外の空気にあたりたくなったのは当然と言えば当然か。のろのろと起き上がって肘を使ってドアノブと格闘して
扉を開ける。開けられんじゃん、と己を詰る。
ガチャン!と思わぬ大きな音がしたが、廊下を見渡しても誰もいなさそうだ。寝てろと咎められるのが面倒だったから、都合が良かった。
足は無事だから歩けたけれど、
鈍っている事を痛感する足取りで、
無意識に向かったのはあの庭だった]
………
[庭に出て、ちょっと歩いたり寝転がったりしたかったけれど、
もう出て行くと告げたんだから、
ここにいるのは相応しくないと、
少し空気を吸っただけで退散した。
そこは夜の澄んだ空気がおいしくて、
火照りも一瞬で静まった気がした]
[流石に治療が済まないまま出て行く気はなかった。
我が儘を言って申し訳ないと領主様達には頭を下げたが。
右手は動かないままでも、
左手の指はなんとかくっつけてもらったか。まだぎこちない動きになるのは、ここで出来る事が限られていたからだろう。
この屋敷を出て、
行先は、盗賊団が次に向かう予定だった国、それから、
今迄荒らして来た町や道や家だった。
そこ迄は、出自を明らかにしたシャーリエにしか教えず、
表向きは「義手を完全に直す。できれば右手も治療法を探す。ついでに慈善事業をします。戻って来るかはわかりません」と言って屋敷を出ようとした。
資金は今迄の給料では足りないだろうけれど、
まぁ考えはあるので何とかするつもり。
それより、最初は一人で生活は難しいと思ったので、
誰か人手を貸してほしいとは願い出ただろう。
それから、]
お嬢様、
オレが旅立つ日には
お嬢様のピアノを聴かせてくれませんか?
[彼女がピアノの部屋で泣いていた日から二、三日後にそう乞うた。
だって聴かせてくれると言っていたもの。
厚かましくても、おこがましくても、
彼女の好きなピアノの音を、貰って行きたかった。**]
[キス、してしまった。好きだと全部明かしてしまった。
これから離れる人になにをしているんだろう。
しばらくピアノ部屋からメロディーを響かせて、
音色に慰められてからの帰り道。
怪我人の部屋を足早に通り過ぎる。
庭に差し込む月光に呼ばれて、
リフルと出逢った芝に座った。
入れ違いで同じ場所にいたとは知らない。
花壇に咲いたリコリスを1本千切って、
ごめんね、と割れた茎に葉を巻いた。]
[1人で眠るそばに居てくれるかな。
仲間と離してごめんね。
枕元の一輪挿しで1人になった白いリコリスは、
その後二週間枕元に咲いていた]
―― 見送りの日 ――
[リフルの義手は完全に治せなかったらしい。
王国から呼んだ先生も、カードック製の義手ではないので微調整が出来ないと仰った。
慣れるか、製造国で直すか、と彼の旅立ちを応援して、
よくわからないメンテナンス用の小包を渡していた。
彼が望んだ人手には、少し審議がなされた。
目的地までの護衛ならいくらでも付けるのだが、
帰るかわからないとなると国から人員を割くのが難しい。
希望者を募ったところ、
騎士隊のユーディトが「休暇中なら」と申し出てくれた。
事件を解決したばかりの彼女は長い休暇の最中だ。
きっとリフルの旅が軌道に乗るまで付いてくれるだろう。
付いていけない私の代わりに、彼を守って欲しい。]
[ユージーン氏は広くなった部屋を満喫するらしい]
さあどうぞ、好きなところにお座りになって?
[ピアノの部屋のドアを大きく広げ、
二つしかない椅子に案内する。
一つはピアノの前だけど、
そこに座られたらどうしようかしら。
窓は開けて中庭の空気を取り込んだ。
お茶会の続きだと言うように、
窓から風が吹き込んでおめかししたドレスの裾を揺らした]
誰もいないからあなたに捧げる曲かなぁ
……付け焼き刃だけど聞いていってね。
感想とかあったら、
王国のクロードって音楽家に言ってあげて。
サティの……サティの知り合いだって言えば解るはずだから。
[始まった小さな音楽祭はピアノの音で始まった。
低いファ・ラ♭から高いファ・ラ♭へ、
伸び上がるように始まる曲を祈りを込めて弾く。
いつの間にか月の光《Clair de Lune》
と呼ばれるようになった曲は、
あなたの夜を安らかな色で満たしてくれることでしょう。
今も外からのぞいている人たちの声も混ざれば
お屋敷であった事を思い出すきっかけになるかもしれません。
月の光の中で唇を奪った娘のことを
思い出すこともあるでしょうか。
ただ、貴方の旅に訪れる闇が穏やかなものであって欲しい。
そう祈りを込めて鍵盤を優しく押して、
リフルの背中を押すことに集中した。]
ご静聴ありがとうございました、リフル。
どこへ行っても、元気でいてね
[ピアノの音が途切れてペダルから足先を離して、
ひとときの音楽祭は夢のように終わってしまう。
ペダルを踏むため
踵を床の上3センチで固定していたヒールに立ち、
ドレスの裾を持ち上げてお辞儀をした。
あなたのためにピアノを弾けたことを光栄に思う*]
―― それから ――
[王国のクロードからか、戻ってきたユーディトからか
ときどき彼の足跡を聴きながら、
私の仕事に追われる日々が過ぎた。
その便りもだんだんと少なくなっていって、
離れてしまったんだと今更に実感する。
庭の花々は相変わらず手入れをしているけれど、
お茶会がなくなって花瓶に生けられる方が多くなった。
遠くで起きた戦争の被害者を受け入れたことで
義手の需要が高まり、技師も増えていった。
ピアノに向き合うことは減っていって、
楽譜を書く手は止まってしまっていた。]
[私をさらった首謀者は、元貴族の男だと判明したものの
すんでのところで逃亡したらしい。
番犬《スパイ》を放って追ってはいるものの、
国から出られてしまえば追いかけるほどの予算はない。
右腕だけが捕まって不安そうに牢屋で暮らしていたが、
彼の情報はすでに首謀者を見失っていて、
死刑にすることになった]
…………
[執行の場を射者の近くから見ている。
これから殺される人は何を思うんだろう。
私を殺そうと企んだ人は遅過ぎる命乞いをして事切れた。
命が終わる瞬間を見届けて、
私が行使した秩序を守る刃の重みを受け止める。
私はリフルにこの刃を使わせてしまった。
それだけ刻んで生きていこうと思う]
[ある日は久しぶりに中庭でお茶を飲んでいた。
あまいココアにマシュマロを浮かべて、糖分補記。
日差しの差す庭は暖かくてはまどろんでしまう。
夢の中で庭の住人が手招きしている。
あのときは楽しかったな。
領民の楽しみを守りながら、過ぎた日々を思いだして]
ふふ ふ、
[芝の上にころんと転がった**]
[そうして、どのくらい経った頃だったか。
瞼がぴくりと動いて、
いつの間にか
祈るように組み合わせてしまっていた両手を
慌てて解いて身を乗り出した。
覗き込む俺の前で
モルフォ蝶なんかより
もっと美しい青い宝石が輝きを取り戻す。
かかる吐息は
あたたかい
だけじゃなくて
どうしてだか、感じられて
こく…と喉を鳴らしてしまっていた。]
[さらに表情が綻び
惹かれて止まない微笑が浮かんだ。
疲れの陰が薄れたからだろうか?
輪をかけて増した魅力に
囚われて
身じろぎひとつ出来ずに固まった。]
…… っ、
[再び動きを取り戻せたのは
ほっそりとした指先が、頬に届いた時だ。
妬ましいけれど
貴方が選び抜いただろう揃いのレース素材の品は
美しさを確かに引き立たせていたから
外さず、そのままにしていたのだが
自ら脱ぎ去って、直に触れてくれた。]
[そこに、届く言葉。
幸せの洪水だ、──────溺れる。
けど濁流ではなくて、清らかで、温かくて、
つま先から頭のてっぺんまで
とぷんと包み込まれて。
嬉しすぎて、まるで言葉が出てこないから
空気を求めるみたいに
はくはくと唇を動かしてから漸く]
… ほんとう、に?
ああ、……絶対に離さない、
[ぎこちないながらも
喜びが色濃く滲んだ声を響かせた。]
[撫でてくれる親指も
堪らなく気持ちよくて
眼鏡の奥の目を細めて享受していると、
今度は自宅に誘われた。
]
勿論 行く!
…じゃ、なくて、
お邪魔させてもらうよ
[ほぼ即答に近い形で応えてから
己のあまりの食いつきっぷりに
少しはにかんだ。]
[今朝、ネットで必死に調べて
ドイツにある会社の代表だということは
もう知っている。
きっと、家もそっちの方に在るのだろう。
確実に2日以上
自宅を開けることになるだろうから
綺麗な子たち
とはまた別の
飼育中のカッコいい奴らを
どうするか、考えなければいけない。
昨日まで、あの家は
俺の世界の全てだったが、
でも、もう、
それは些細なことになっていた。
貴方の城に伺うということは
いっしょに居られる上に
貴方のことを
もっと、もっと、知れるということだから。]
[なんだか、ものすごく
気持ちが急いて仕方なくなって]
なら、帰り支度をしないとな
[輪郭に添わされた掌に
名残りを惜しむように頬を擦り付けてから
立ち上がる。
傷を消毒できるエタノールなどを
鞄の中から取り出すと、
貴方の許可を得て
針を抜き、手当てを済ませ
衣服を身につける手伝いを積極的にした。]
[まだ、扉が開かないと知れば
張り詰めていた気が
ぷつんと切れて
今度は俺の方が眠り込んでしまっただろう。
なにしろ、7週間もの間
浅い眠りの中で
貴方を捕まえようとして出来なくて
飛び起きてばかりだったから
やっと、手に入れた存在を
離すまいと指を絡め、ぎゅっと握ったまま────…。]**
──淡薄色の球体──
[これまでと違って辺りの景色はぼやけている。
夢の中の更に夢。
無愛想な男の見る空想の世界。
スポットライトの当たる綺羅びやかなステージ、
正面の客席に一人無愛想な男は腰掛けていると、
ステージ上にアオザイcosmを着た薄色の髪の男性が現れた。
彼はランウェイを歩いて先端まで来ればターン、
戻って裾に隠れては次はブーメランパンツcosmを着て現れる。
その繰り返し。
踊り子衣装cosmやチアリーダー衣装cosmの姿で輝くライトを浴びる。
最後にセクシーランジェリーcosmを着た男性のウインクで、
ステージは幕を閉じ。]
……アジダル、色んな服着てたな。
あの姿は、可愛いのか?
[眉を顰めて唸り。
誰もいなくなったステージを見つめて、悩み続けた。]*
[露出の高い服装とアジダルが切り離せないようだ。
この中なら、アオザイが良かった様な気がするとは思っている。]*
[器用な手先とは裏腹に
不器用な口が動くのをじっと見ていた。
今度こそきっと、心からの言葉。
想いはひとつだと思って良い筈だ。
考えるより先に飛び出たみたいな台詞は
まるで子供のようだった。]
……ふふっ
治人は、とっても可愛い人だったんだね
[また貴方のこと、ひとつ識れた。
それが嬉しくて……、肩が揺れるほど笑っていた。]
[はにかむ様も、なんて愛らしいのだろう。
貴方を中心に廻る世界は
キラキラと輝いて、こんなにも美しい。]
[掌に温もりを残して
愛おしい顔が離れていく。]
都合の良い日に飛行機を手配するね
……、ありがとう
[スッと立ち上がった彼が
傷の処置をしてくれるつもりだと気づけば
身体を起こし、シャツを捲って、彼に任せた。]
[針を抜いて貰うのも
消毒液を掛けて貰うのも
どうしたって痛みを感じて、息が詰まった。]
……っ、…………
はぁ
[だけど、苦しいだけじゃなくて――、
身体に出来たごく小さな傷
ほんの少し歪になった胸粒が、無性に愛おしかった。
貴方が、刻んでくれた痕。]
[服まで着せて貰うのは
ちょっと気恥ずかしかったけど
やっぱり彼に任せた。
大切に扱って貰えるのが、嬉しかったから。
防火扉が開くまでには
まだまだ時間が在るようだった。
ベンチの上に並んで座り、手を繋ぎ
ゆったりとした時間が流れる。
ふと肩に重みを感じれば、彼の方を見た。]
[無垢な寝顔が目の前に在って
胸がきゅんとした。
……でも、じっと見ていれば
目の下には隈が在ることに気づく。
余り眠れていなかっただろうことが窺えて
自分の罪を思い出した。]
[彼の頭にそっと自分のを載せて
彼の体温、匂いを憶える。
過去をなかったことには出来ない。
だけどこの先は、極力、
彼を傷つけることのないように。
眠りに落ちても握られたままの手を
少しだけ力を込めて握り返しながら
胸中でだけ誓った。*]
[いつからか、落ち着いていると言われるようになった。
大人っぽくなりましたねと舞踏会に誘われることもあった。
曖昧に微笑んで、そうね、って答えるだけで、
世間からの反応が変わってしまった。
心を動かされることが少なくなっただけなのにね。
世間に慣れるのが大人っぽいことなのかしら。]
[心が動かないからピアノ譜はさっぱり進まない。
王国の友人にどうやって曲を書くのか訊いてみたら、
「他の国の音楽を聴いたり、旅行に行ったり。
恋人と破局したり、ピアニストを諦めたり」だそうで。
そっか、音楽家も大変ねって
心ばかりのクッキー詰め合わせを贈った。
チョコチップおいしいのよって多めに詰めてもらったやつを。
久しぶりに楽譜をだし、曲のタイトルのところに
Je te veux とだけ書いた]
[眠る前に窓から月の光が差し込んでいるのに気が付いた。
小さく音を立てて鍵を外せば、
吹き込む風にリコリスが揺れた。
あなたは今どこでこの月を見ているのだろう。
それとも月よりお酒って飲んでるだろうか。
胸の痛みは時間と共に
じんわりとしたものに変わっていた。
でも、結婚をと言われると困った顔で笑う。
誓えないわ、って繰り返し断っていれば、
そんな話も聞こえてこなくなった。
次期当主として私が指名されてからは
さらになくなった。
私と結婚しても、当主にはなれずに夫止まりになる。
それ狙いの人居たんだなあって、
困り顔で笑うしかなかった。
苦労の方が多いと思うんだけどねって、
側近護衛になったユーディトと顔を見合わせた。
今は安らかな夜を眠れている。
大国の陰で平和な夜を過ごせているのだから、
いつかの王子の話を断って縁を切るような国じゃなくて
本当にありがたいことです。]
[窓を閉めて天蓋のクイーンベッドに沈む]
おやすみなさい。
いい夢を。
[ここにいない人の眠りが幸せでありますように。
祈る時間は少しずつ短くなっている。
私はいつか祈る相手を忘れてしまうんだろうか。
お姉さまの顔が思い出せなくなったみたいに、
彼の顔の代わりに誰かを想うんだろうか]
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