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203 三月うさぎの不思議なテーブル
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[ 一度振り返り、目を合わせる。
頷いて、再び前を向き、ゆるやかに
バイクを走らせる。
たった一度だけ、人の運転する
バイクの後ろに乗ったことが在るのだが
後ろの方が、思いの外衝撃や揺れが
ダイレクトに伝わるもので。
不調が出るようなら、と気遣ったが
今のところ、それらしい合図はない。
背中に感じる体温に、表情が緩むのは
どうしようもなく。
いやだって、好きな人乗せてるんですよ。 ]
あっちいくと、海の方に出る
ここのラーメン、旨いよ、たまにいく
[ いつものルート。いつもの余暇が
こんなにも、楽しい。 ]
[ コン
、とヘルメットが鳴る、
どうした、と問おうとすれば、
指先が左前方を指差した。
早咲きの桜を目に入れて、
うなずくと、またヘルメットが触れ合い、
コン、と音が鳴る。
田園風景の緑に、その色は
とても目立つ。春の訪れを知らせる
色を横目に、田園地帯を抜け、
山に向かう緩やかな上り坂を、バイクは駆ける。
幸運にも、渋滞にも飲まれず、
一つ目の目的地まで到着できそうだ。
対抗道路から降りてくる、ライダーに
知った顔が居れば、挨拶代わりに
ピースサインを作って応える。
――どういう意味に捉えられるかは別として
いつもしている、文化なもので。
あいつ中指立ててなかった?野蛮だな。
]
[ そうして走らせること、一時間程。
大型トラックが数台止まっている、
駐車場へと入り、エンジンを停止、
とんとん、と腰に回った手に合図をし ]
先に降りてね ゆっくり
[ 声を掛けた、無事彼が降りたのを確認してから
自分もバイクを降り、ヘルメットを外す。 ]
どうだった?初バイク。
[ 次の目的地まではあと三分の一程
あるのだけれど、沢の音が心地よい
このドライブインで、暫し、休息を取るつもり。
どきどきしながら、聞いて。
山の中でしか味わえない空気を、
ぐっと吸い込んだ。* ]
[指先で紺のうさぎを撫でる。
愛でるように優しく。
そうしてヘルメットを被ろうとして
気に入ったか、と聞かれたなら。
被る前に応えただろう。]
うん。
[店では使わない敬語の取れた頷き。
気の緩みからか、春の空気がそうさせたのか。
意識したものではなかったから、
自分では気づけないまま、無自覚のうちに
彼に気を許していることが一つ、増えていく。]
[風に流されながら交わす会話は、
時折、聞き漏らしそうになりながら耳を傾けた。
運転に慣れているからか、
気を回してくれているのか、
ときどき緩まるスピードが衝撃を和らげる。
景色を通り過ぎていく度に、
投げかけられる声に、声で応える代わりに
頷いたり、首を振ったりすることで応えながら。
彼のルーツを知っていくようで、面白い。]
[ヘルメットの合図は伝わったようで、
彼の首が桜の方向に向いた。
返すみたいに、コン、とまた一つ鳴ったから
指し示した指先を下ろしていく。
再び腰元に戻っていく腕は、
彼の胴に周った後、先程より少しだけ。
抱きつく腕に力を篭めた。]
綺麗だ。
[遠くの桜を眺めながら、そう呟いた。
こんな景色を彼は普段から知っているのか。
顔見知りと交わす挨拶を横目に見ながら
俺にも手を上げてくれるから。
応えたいけれど、腕は腰に回したまま。
また、頷くことで応えて。]
[やがて、辿り着いた目的地は話していたドライブイン。
スピードが緩やかに落ちていく。
腕を叩かれたなら、頷いて。
バイクを倒さないように
気をつけながら、足に地を着けた。
ヘルメットを脱げば塞がっていた耳が
解放されて外気にホッとする。
少し、癖づいた前髪を弄りながら。]
車や電車より、景色が近い感じがしますね。
……あと、思ったより寒かった。
[後者は我慢できない程じゃないけれど、
そんな冗談も交えながら、固まった身体を伸ばす。]
[少し休んで、旨いと言っていたうどんを食べたなら、
本来の目的地まで、もう少し。*]
[ 愛車もヘルメットも、ジャケットも
気づくと選び取る色は黒だった。
手帳も、スマホも。ついでに言えば
家具類なんかも。
そこに一つ増えた紺色を、彼は気に入って
くれたようで、ほっとした。
身の回り、実は黒じゃない色を
選び取ることも、最近は増えていることは、
まだもう少し、言わないまま。 ]
[ 好きなことをして過ごしていた人生の中、
欠けていたものの存在に、気づいた。
これをして、あれをして、あれを買って。
望まれるままに、していたと思う。
それなりに相手のことだって、好きだった筈なのに。
言えないこと、――例えばあの日の気持ちだとか
見せたくないもの、――例えば火傷の痕残る体とか
そういうものを求められる度、辟易していた。
欲しがられる言葉を言うのは簡単だけど
いつだってそこに熱はないし、指先は冷えてた。
結局俺はほんとうの意味での特別も、
好きも、恋も知らなかった。 ]
[ 淡い桜色が視界を通り過ぎた頃、
指差すために動いた腕が再び、腰に回る。
先程より、少しだけ強く。
気の所為かもしれない、でも少しくらいなら
浮かれてもいいのかもしれないな。
呟きは自分の耳には届かない。
誰かと何かしたいと思うことも、
誰かに何かを望むことも、初めてのこと。 ]
生きててよかったな
[ いつか友人から送られたメッセージに
応えるような、呟き。
――あの事故の現場を通り過ぎたあたりで
呟いた言葉はこの速度では君には聞こえまい。 ]
そうだね、風とか匂いとか
そのまま感じるれるから、好きなんだ。
[ ドライブインに着いて、バイクを降り、
那岐のヘルメットを預かり、バイクに固定しながら ]
あったかくしてきて、良かったでしょ
[ 思ったより寒かったと言われれば
声を上げて笑って、答える。
食事をしながら、話すのはこのあたりの
観光地の話とか。
目的地よりもう少し走ると、温泉宿があり
いつか行きたいと思っているのだが
まだ行けていない、とかそんな事も話した。 ]
急カーブはないけど、
一応山道だから、さっきまでより
もっと揺れるかも。
[ そうしてまた、愛車に乗り込み
車道へ出る。
こちらに取っては当然なのだが、
今日、財布出させること、ありませんのでよろしく。
デートなのでね* ]
は、はい……それは、もちろん……?
[ 彼とのお泊り用のパジャマを新調するつもりだったから、
全く問題はないのだけれども。
予想外の反応につい語尾に疑問符がついて、
友達とお泊り会、という言葉に、ふと速崎が思い浮かぶ。
……話し合って 仲直りしたら。
そんな未来もあるだろうか。
少しの感傷を抱いたまま、見送られては買い物を済ませ
こんな時間でもそこそこ客で溢れた店内を出る。
集中してスキンケアのブランドを吟味したのもあり
神田が買い物をしていたことは全く気付かなかった。
]
[ 手は繋ぎたいし、何でも持って貰うタイプでもないので
お互い片手を埋めたまま、もう片方を繋ぎ合う。
咲いた桜を眺めながら
そういえば、まだ教えていない好きと嫌いがあることを
ぼんやり思い出していた。
好きな季節は冬。 一人の寂しさを寒さのせいに出来る。
嫌いな季節は春。 暖かいのに、ずっと寒いままだった。
でも貴方のおかげで、四季の美しさを知れたから
今は春も好きになれそうです、って。 ]
……ん。
なら、良いです。……うれしい。
[ 嘘や誤魔化されるかもなんて不安は最初からないので
回答へ満足そうに微笑み、「来訪」も初めてと悟れば
尚更心は浮き立つものだ。 ]
[ 前置きには「急にお願いしたのは私なので」と答え、
けれど言葉のように物が多いわけではない室内を見渡す。
取り立てて目に入るのは本棚に隙間なく詰まった、
雑誌と──アルバム? だろうか。
彼の職業を思い出し、なるほど、と一人納得して。
いかにも性能が良さそうなPCと一枚ではないモニター。
凄い。絶対大咲には使いこなせない。
二枚以上のモニターなんてドラマ以外で初めて見た。 ]
あ、はい!
ありがとうございます。
[ 無造作に椅子へ投げられたリュックと、
ジャケットを背もたれへ掛ける動作があまりにも自然で
今更ながら、ここが彼の家だと実感を覚えては
意識しすぎないよう、邪魔にならない場所へ荷物を。 ]
[ それから広げられた腕と、掛けられた甘やかしの言葉へ
一も二もなく抱き着いた。 ]
ぎゅって、してほしいです
……その。色々ちょっと、考えて、疲れちゃって……
[ ぶわ、と桜が散る時のように
大咲の頭を悩ませ続けている速崎との記憶が蘇る。
抱いていた一度目のクッキーの否定理由は
ただ、大咲が「私が知っているけいちゃんなら」という
思い込みに過ぎない。
大咲の知っていた速崎。あの時確かに聞こえた失言。
傷付く権利があるのは当事者二人でしかないのに。
恋の実が落ちて、それでも最後まで逃げなかった、
彼女の姿もちゃんと見たのに。 ]
私なりに解決出来たら、全部、ちゃんと言います
──ううん。聞いて欲しいです。
突き詰めれば多分 私の自業自得なところもあるんです。
だから今日お店に来てくれた時、ほっとしました
──自分で自分を責めて、嫌いになっちゃったら
それこそ全部終わりだって気付いたから。
その、……神田さんの、顔を見たときに。
[ 全部自分が悪い、なんてことはないし
全部向こうが悪い、なんてことも、きっとない。
少なくとも この二人の間なら。
大咲はそれ以上、これに関しては語らなかった。
話した内容も相談というよりは独白めいて、
少しずつ、彼を寄る辺に、心を整理していくような。 ]
[ 全部自分が悪いと思う癖があった。
遠藤には「残されたご飯」を怒って良いと言ったのに
自分は最後まで、母へ怒る権利もないと思っていた。
だって、大咲から見れば、母もある種の被害者だ。
お金を渡すだけの、関心もない存在。
母の日のケーキを捨てるくらい嫌いな存在。
そんな子供を高校まで行かせて、お金を渡し続けて。
でも、心のどこかで怒りたかった。
怒ることも一種の甘えなのだと知らなくて
壊したくないから、自罰で流し続けて。 ]
[ 料理を謙遜しないのは、
美味しいと食べてくれる人を否定することになるから。
自分自身となるとどうにも難しいその考えは
けれど、貴方のおかげで、一歩ずつ変わっている。
甘えたいと示せるようになっただけ、大きな変化。
貴方が好きでいてくれる私自身を
私も、自分なりに、大事にしていきたいから。 ]
…………ん。よし、リセットできました。
あの、後一個、今のうちにお願いして良いですか?
[ とはいえまだまだ遠慮も線引きも探してしまうので、
一緒に手を繋いで、付き合ってくださいね。
面倒な性格の自覚はあるけど、それさえ受け入れてくれた
貴方じゃなきゃ駄目になってしまったみたいです。 ]
今日、一緒に……んと、くっついて、寝たいです
──夜綿さん。
…………だめ ですか?
[ これは大咲の想定では、友人同士のお泊り会のような
そんなお気楽なお願いだったのだけれども。
ぽん と咲いた、約束通りの名前呼び。
お願いと言いつつも「イエス」以外を想像していない顔で
へにゃりと頬を緩め、小首を傾いだ。** ]
[ 緩やかな山道を抜けるまでの間に、
自然公園へ向かう道と、
観光牧場に向かう道、
そして湖に続く道へと、行き先が分かれる。
ほとんどが前者二つへ向かう道に
流れるので、自然と前後の車両は減る。
ここまで来たら、あと十分程。
申し訳程度のやや整備が雑な駐車場には
今日は、トラックが一台。
カーテンを引くように、運転席が隠れて
いるので、お休み中だろう。
自販機が二台、公共トイレの設置もあるが
他にはなにもない。それを気に入っている。
自分の、とくべつな場所。 ]
何か飲む?
[ 問いかけて、自分は水を一つ買い、
ジャケットの前を開いて、湖の方を指差した。 ]
なんもないでしょ
[ 湖の近くに行っても、なにもないことは
変わらない。昔はボートのレンタルなんかも
やってたのかなって思えるような小さな小屋、
ベンチもたった一つだけ。かなりボロいやつ。 ]
俺のお気に入りの場所へようこそ
[ あの日、夢想した、
この景色の中に佇む君、という絵が
今完成した。ときどき、跳ねる水の音。
鳴くような虫はまだ居ないだろうけど、
ひらり、と目の前を名前も知らない蝶が横切った。* ]
[互いに。
溶けるような呟きは、風の中に消えていく。
俺がラジオを聞き始めた頃には、
既に彼がよくメディアに
駆り出されていた頃ではなかったから。
深夜のラジオ。
パーソナリティとリスナー。
最初は顔も知らなかった声だけの存在。
こんなに身近なところで知り合うとは
思ってもいなかった"別世界の人"。
ファンという程には深くない。
彼がトレードカラーは今も根強く残っているけれど、
『帰ってきた』と言われる理由の原因を語られる頃には、
彼を知るには遅すぎた。
今も調べれば出るかもしれない情報を、
自らの手で調べることがないのは。
彼本人が、――そのことを語ることをしないから。]
[ 彼のトレードカラーの下に隠された
傷の名残を知らないまま、通り過ぎていく。 ]
ああ、身体で感じるから。
[好きな理由を耳にしたなら。
体験を元にすれば、理解できる気がした。
時期は選びそうだけれど。
声を立てて笑う様子に、双眸を緩めて頷く。
目的だったうどんは、
オーソドックスにきつねうどんにした。
厚揚げに染み込む薄い色のつゆは、
この辺りでは珍しく西寄りのものだろうか。
つゆを染み込ませるように沈めてから、
箸でつまんで齧れば、甘い味が口内に広がる。
麺は細打ち、添えられた青ネギを絡ませて。
二枚だけ添えられたかまぼこは、桜色。
この近くに温泉宿があることは知らなかったから、
行ってみたいですね、なんて相槌を打って。
自分で払うつもりだった会計を、
すっと先に伝票を取り上げられたから
帰りのガソリン代はこちらが払うつもり。]
[宣告通り、ドライブインを抜けた後は、
少し道が悪くなったのか、揺れるようになった。
落ちないようにと、また回す腕に力が籠もる。
道が別れていく度に、
後ろから追いかけてくる車や、
前に見えていたトラックが見えなくなっていく。
溢れ返る程の緑を抜けて、
少し視界が開けた場所に出たと思えば
砂利道で出来た駐車場だった。
申し訳ない程度の、自販機と公共トイレ。
木々の先には水の気配がする。
凝り固まった身体を伸ばしたら。
飲み物のリクエスト。]
じゃあ、コーヒーを。
……これくらいは自分で。
[今度は先手を打たれないように。
先にICカードを使おうか。]
[駐車場から少し歩けば、一面に湖が広がって。
さわさわと風と水が音を立てていた。
街から余り出ることがないから、
自然に触れるのは久しぶりなような気がする。
お気に入り、その言葉に振り返って笑って。]
……いいですね、空気が新しく感じる。
[目を閉じて、音を聞いたなら。
深く、鼻から吸い込んで、口から吐き出した。
風に流された蝶が眼の前を泳いでいくのを、
何気なく、視線で追いかけて。]
連れてきてくれて、ありがとうございます。
[彼だけの特別な場所。
踏み込むことを許されたなら、まずは感謝を。*]
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