【人】 行商人 美濃[宿の部屋に戻れば、湯を勧められたのでありがたく浴場へと向かい体を温めた。 室内用の浴衣へと着替えると、湯冷めを避けて肩掛けを羽織る。 窓を叩く雨音は変わらず。 窓の外、時折駆けていく急ぎ足の通行人を見るとも無しに眺め、持ち歩いていた荷物は濡れてやしないかを確認した。 湯上がりの個人的な空間では仮面を外した窓に映る女と目が合う。 何処へ行くにも外さない仮面は、行商人らしく、と言うとおかしな話だが、女が引き継いだ露店の元店主にあつらえてもらったものだ。 もう随分と昔、少女の時分、故郷の祭り事に現れた店主を初めて見た時の、どこか幻想的な特別さに胸をときめかせて露店の品を眺めた時から、女にとってはこの生業の顔にはこの仮面が欠かせないものだった。 それは店主の仮面の下を知る仲となった後の幸福な時を過ごす間も、ふた目とは会えなくなってから久しい今でも変わることはない。] (44) 2022/09/30(Fri) 19:14:45 |