【人】 片連理 “椿” いってらっしゃいまし。 [転ぶなよ、の声にはワンピースの両脇を摘んで持ち上げ、舞台役者がするようなお辞儀をしてみせた。 一人になってから、湯を沸かして棚で見つけた茉莉花茶を淹れた。 濃いめに淹れてから水を足して少しぬるめの温度に調節する。 このやり方は片割れに教えてもらった気がする。よく、寝るまえに二人で茶を飲んだ。 いつでも緊張状態だったわけではない。落ち着いた日々もそれなりにあったはずだ。それがいつ崩れるか予想がつかなかっただけで。あらためて、過ぎた日を懐かしく、寂しく思う。 大きな花柄のマグカップを持って、二階のホールへ移動した。大きなソファの端に座る。思った通り、やわらかくて座り心地がいい。 楓に対しては、今はできるだけ楽しげに、人間のように振る舞おうと努めてはいる。 どうやっても愉快ではない話をしにきたのだ、そうでないときくらいは楽しい方がいい。椿には椿の目から見たものしかわからないし、そうでなくても気分が目まぐるしく変わってしまうから、楓がどう感じているかについては想像することも難しいのだが、椿の方は楓を好ましく思っている。彼は飾らず、真っ直ぐで、強い。そういう部分に、素直に憧れを感じる。たぶん、以前もそうだった。 部屋着がふわふわで、茶が温かくて、だんだんと瞼が重たくなってくる。 やがて椿はそばのローテーブルにカップを置いて、ソファの肘掛けにもたれてうとうとし始めた。]** (389) 2023/03/03(Fri) 22:23:08 |