【赤】 8435 黒塚 彰人椅子に腰掛けた膝の上、指を組む。右手の親指のはらで、左の親指の爪を擦る。 そうやって、言葉に迷うような、言い渋るような、何とも表現し難い沈黙があって。 「ここを出て――大切な人と生きたいと、言っていた奴がいるんだが」 「…………心底、羨ましいな。 俺の大切な人は……あの“俺”は、もう、いない」 目の前の少年から視線を逸らしたまま、ぼそぼそと言葉を吐く。 己の声が、遠い。……あの人の声は、もっと、低かった。 「……記憶だけは、ここにある」 とん、とこめかみを人差し指で叩く。 今となってはもはや、この記憶だけが、あの人の存在を残している。 「まっさらにはならないな。 そいつの見た景色を、俺も見るだけだ」 は、と自嘲するように笑う。 降り積もって、いつまでも残り続ける。便利で、不便な仕組みだろう?▼ (*11) 2021/10/04(Mon) 18:47:35 |