224 【R18G】海辺のフチラータ2【身内】
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「おう。用意出来たら出来たって言うわ。
スマホに掛けたら繋がらないのは心配させるだろ、
早く安心させてやらねえとさ」
ついでにスマホも登録しておいてやろうかな、
なんて企みは口には出さないでおこう。
「そ? わかった、徒歩なら気を付けて来いよ。
──あ。そうだ、猫」
それならこっちも色々用意できるな、とズレかけた思考は、
『猫』という単語ですぐに戻った。
「あのさ。飼ったわ、猫。家に居る」
「貰ったんだよ。白猫……」
だから大丈夫、と一言。
いつぞやは自分では飼わないと言った覚えがあるが、
結果として今、家に一匹いらっしゃるのだった。
じゃあ後で手伝うわね、なんて会話をしたかもしれない。
この女に任せると、捨てようと思っていた物をいくつか持って帰られるかもしれないけれど。
それはそれとして。
「お気の毒様ねえ」
「まあ、警察も上がああなった以上はドタバタ騒ぎもやむなし……っていうか。
それくらいで済んでよかったって感じじゃない?書類仕事で済むなら、それほどの痛手でもないでしょうしね」
署長代理とやらが捕まることで、丸く収まっているならいいことなのだろうけれど。
自分が撃ち抜いた彼の事も公になっている。結構な地位にいたらしいと聞いたから。
警察内部の事情に疎い女は、実際のところどうなの?と聞いてみている。
落ち着かない様子をちらりとみて、にまと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「怪我人は大人しくしてて下さ〜い」と楽しそうに口にして。
鼻歌まじりにデリのパックを開けていく。
チーズとろけるピザに熱々揚げたてのアランチーニ。ジューシーなポルケッタ、パリパリのパネッレにほくほくクロッケー……本当に片っ端から屋台飯を買ってきたようなラインナップ。
結局こういうものが一番おいしいのだ。
「まあそれもそうなんだけど。
テオが見せたくないものは、無理に見たくないってだけ」
嫌な思いさせたくないし。気を遣ってくれてるのを無碍にはしたくないし。
「できないことはないか、じゃないのっ」
「もし難しそうなら私の片手をテオだと思って乾杯するから」
どういう有様かは知らないけど。無理してグラスを落としたり、不安定になってもいけないし。
ちゃんと持てる状態でないと、この女は折れなさそうだ。
| まさに蜘蛛の子を散らすようだった。 監獄から吐き出されていく人、人、人。 早朝の白む空に照らされ、昇る朝日に祝福されるがごとく家路に着く。或いはそのまま遊びに赴き、それとも最早この地を捨てて遠くへ駆けて行こうとする面々は、疲弊しつつも各々どこか安心した顔をしていたのだろう。 これでもう終わる。悪人は討伐され、三日月島には平穏が戻るのだ。 おめでとう、 みんな、 よくやった。 おめでとう。 ぱんぱんと鳴るパレードの花火は拍手にも似て、奇妙にこの日を彩っていた。 しかし。 イレネオ・デ・マリアが牢を出たのは、それから随分後のこと。 日が再び落ち、また高く昇りきり、中天を過ぎた頃──── つまり、次の日の午後のことだった。 #AbbaiareAllaLuna (86) 2023/09/30(Sat) 4:59:01 |
| 突然の展開に署内は蜂の巣をつついたようになっていた。情報は錯綜してんやわんやの大騒ぎ。電話対応にも追われ会見の準備、やれあの証拠を持ってこい、やれあれを止めさせろ。末端も末端で 仕事に勤しんでいた男が法の失効を知らされたのは、ナルチーゾ・ノーノの緊急逮捕が幕を下ろした後のことだった。 事後処理に駆け回った署内の人間の一人が取調室に飛び込んだのは、イレネオがまさに目の前の男の爪を剥ぎ取ろうとしていた時のこと。 謂れのない責め苦に悲鳴をあげていた被疑者は、その知らせにどれだけ安心したか知れない。彼は椅子から転がり落ちるようにして伝達者の元に走り、縋り付いて涙を流したという。 対する男は、当然法の失効に反対した。 これはマフィアやその協力者を先んじて取り締まることの出来る、画期的な法案だと主張した。いつもの生真面目さ、四角四面さ、愚直さで主張した。 しかし全ては終わったことである。 その言葉はひとつも聞き入れられることがないまま──それは皮肉にも、これまで犠牲者たちにしてきた態度と同じだ──男は一度落ち着けと 犬小屋に戻された。 それはおそらく、暴挙の限りを尽くした愚犬に対する庇護の意味合いもあったのだろう。 混乱に乗じてどんな目に遭うかわからない男を野放しにするほど、この国の警察は終わってはいなかった。 #AbbaiareAllaLuna (87) 2023/09/30(Sat) 5:01:35 |
| まんじりともせず夜を過ごした男に沙汰が言い渡されたのは、次の日になってからのこと。 停職処分。 期限については追っての通達。 それは男にとっては重い、しかし見るものが見れば軽すぎる裁定だった。 どうしようもなく愚かで、それでも職務に懸命だった忠犬への、慈悲の意を含んだ処罰だった。 #AbbaiareAllaLuna (88) 2023/09/30(Sat) 5:02:19 |
| (a24) 2023/09/30(Sat) 5:02:39 |
| 故に男は途方に暮れていた。 犬に出来ることは主人の意向に従うことだけである。 身を捧げた正義には手を離され、リードを握る者はいない。従った法は失効し、今や頼るものもない。 明るい陽射しの下に、男は憔悴しきった姿を晒した。 右を見る。牢に入る前と変わらない人並み。それは既に日常に戻りつつある。 左を見る。紙吹雪が散っていった。昨日あったらしいパレードの名残だろう。 後ろを見る。その門はいつもと変わらず、けれどこの男を追い出して閉じた。 前を見る。一般車両に紛れて通り過ぎた救急車を見て、思い出す声があった。 「バディオリは大丈夫なのか」 「彼なら病院へ」 「撃たれたのは肩だろう。命までは────」 ざり。 靴底が舗装された道を擦る。 イレネオ・デ・マリアは知らない。 何故彼が負傷することになったか。 それでも。いや、それだからこそ。 足を向けたのは自宅ではなかった。 #AbbaiareAllaLuna (89) 2023/09/30(Sat) 5:03:13 |
| (a25) 2023/09/30(Sat) 5:03:33 |
| (a26) 2023/09/30(Sat) 5:06:11 |
| 帰路に着く足は酷く重く、億劫だった。 元より姿勢のいいわけではない男の背が今日は更に丸く俯いている。日の暮れた暗さを心細いとは思わないが、明日から過ごさなければならない日々のことを考えれば自然気は沈んだ。 幾日の間を何もせず過ごすことになるのだろう。 どれだけの時間に耐えることになるのだろう。まるで未決囚だ。 趣味も何もない、訪ねるような友人もいない不明瞭な空白を思えば、知らずうちに溜息が漏れた。 こつ、こつ、と石畳を鳴らす足音はいつか砂利を踏む音になる。 裏路地を通るのはいつも通りの 癖だった。 なにも近道というわけではない。ただ、街灯のない細い道を帰宅がてらにパトロールするのはこの男のルーティンだった。 始めた頃には時々目にしたチンピラなども、最近はとんと見かけない。 良いことだ、と男は思う。きっと良いことだ。 だからこの帰宅ルートは、任を解かれた今日だって変えるつもりがなかった。 #AbbaiareAllaLuna (90) 2023/09/30(Sat) 5:07:21 |
| イレネオ・デ・マリアの遺体は見つからない。 一巡査長の身柄は行方不明として結論される。 その捜索も、程なくして打ち切られるだろう。 それはマフィアから警察への手打ち表明であり、 それは警察からマフィアに対するけじめであり、 狂犬が病理を撒く以前に駆除されただけのこと。 誰かが言ったように、署長代理にも法にも見捨てられ。 誰かが言ったように、道理と因果に従って。 誰かが言ったように、地獄に堕ちる。 狭い路地裏では空すら見えない。 負け犬が月に吠えることはない。 #AbbaiareAllaLuna悪人は、等しく裁かれるべきだ。誰かが言ったように。 (91) 2023/09/30(Sat) 5:20:23 |
「口さえ利けるならできる仕事は幾らでもありますから、
幸いにも税金泥棒になることはなさそうだ」
悪逆の限りを尽くしてくれたとはいえ親しかった、
因縁深い警部の話になれば、ほんの少し渋い顔をして。
余罪の追求に関する話を幾つか述べた後に、
彼を打った下手人の捜索が行われ始めていることも語る。
その方針について口利きできないわけでもないが、今はそこまで言う必要もあるまい。テオドロ・アストーリは兎も角、この警部補は何も知らないのだから。
「尊重を身に着けたのは良い傾向だな。
この調子で俺の不機嫌を悟ったときに、
いつでも離れられる心掛けをしていてほしいものだが」
少なくとも今は言うほど機嫌が悪く無さそう。
それよりも並べられた食事を見て、「これが怪我人の食事か……」と苦笑をしつつも賞味を楽しみにしている。
「俺の目の前で独り芝居をしないでほしい。
そっちに滑らせるくらいはできるから、
ちゃんとこっち宛に乾杯をしてくれ」
ここで無理を言っても仕方ないことは分かるから、譲歩案を提出する。暫くは強く出られなさそうだ。
気遣いを感じる言葉には『ありがと〜』と嬉しそうな声、もちろん企みにも気が付かないままだ。
そうして猫については……
『え?飼ったの?やだーってしてたのに。
あはは、そっか、でもならよかった。
遊び相手になるかも、なー』
足元で丸まってる白い毛玉に話しかけてから、それなら問題ないかと一安心。
じゃあこいつも連れてくなとそれだけを伝えて、電話を切ることだろう。
まだ人々の活気は遠い街中を伝えた通りにのんびりと歩いていく。
ようやく会えるなあ、とか。どういう心変わりがあったんだろうなあ、とか。
考えながら歩みを進めていれば、目的地までは案外すぐだった。
いつぞやもお泊まりをした貴方の家の扉前。
左の指先を伸ばしチャイムを鳴らす、ピンポーン。
「ろーーにいーーー」
ついでに子供みたいに呼びかけながら。
優秀な人は引く手数多でいいことねえ、なんて言う。
その分頼られて大変なのだろうけど。
「そう。妥当な処分が下るといいわね」
下手人の捜索が始まっていると聞けば、少しだけ目をそらすようにして。
それでも、それ以上の動揺はない。
協力者がうまくやってくれているだろうから、よほどのことがなければ足がつくこともないだろう。
そして何より、目の前の彼に知られたくはないものだったから。
あの時のことを見られていたなんて、彼女には知る由もないのだ。
「もう!前から尊重はしてたと思うんだけどっ」
「あなたが何してようと勝手に喜んでる女なんだから。
まあ……しつこく付きまとってるところを言ってるなら、たまには放っておけって言うのも分かるけど」
「不機嫌になったくらいで離れるような女、つまんないでしょ」
黙って近くにいるくらいはするのだろうけど。
「病人食の方が好みだった?」なんて揶揄いながら。
「それなら許してあげる。軽めのグラス選んだから、そんなに力入れなくていいわよ」
それじゃあ、と気を取り直して。
「お疲れ様、テオ。乾杯〜」
テーブルの上で、グラス同士をぶつけ合うのだろう。軽い音が響いた。
「いや〜、人間心変わりってするもんだよ。
きっかけさえありゃあ人間なんでもするんだね。
猫用のおやつはあるから分けてやるよ。んじゃな」
ぴ、と電話の切れた音。
さて、とりあえず顔を洗わなければ。
適度に取っ散らかった床も片付けて、それから……
◇
「はあい、はいはい、はーい……」
近所のガキみたいだな、なんて思わず笑みが零れる。
早足で玄関まで行けばすぐに扉を開いた。
貴方に会う時はいつも髪を結んでいたけれど今日はそのまま。
勿論眼鏡もかけていなかった。
「入んな〜。飲み物、用意してるから」
扉を開け放ち貴方を家の中へ迎え入れる。
ロメオの家は一階建てのこじんまりとした家で、それほど部屋は多くない。けれど物が少ないから少し広く見えるのだった。ガラスのローテーブルを挟んで一人掛けの白いソファと椅子代わりにもなる大きなクッションが置いてあり、窓際には白猫が丸まって眠っていた。
「近所の店にマリトッツォ売ってたから買ってきたわ。
これ二人で食べよ」
心なしかそわそわと嬉しそうにおやつの用意をしながら、
「好きなとこ座んな」と促した。
そわりとこちらも扉が開くまでを待っていたところ、貴方の姿見えたのならわかりやすく瞳が輝いた。
「かっこいいろーにいだ〜」
眼鏡しててもかっこいいけれどね。
謎に付け足しながらありがとうとお邪魔しますを続けて口にし、中へと入っていく。
ちなみに子猫は腕の中ですやすやお昼寝中だった。
「え、今買って来てくれたの?」
気にしなくても良かったのに、を続けようとしたが。
何やらそわそわと貴方が嬉しそうなのが見えて……ああ、と納得する。
喜んでくれているんだなって気が付かないわけがない、だから言わなかった。
「……へへ、ありがと、うれしい。
お腹減ってたんだ、そういえば全然何も食べてなかった」
言葉は感謝へと形を変えて、抱くのはいとおしいなという感情。
ちょうどおんなじ色の……なんなら子猫をおっきくしたかのような白猫が窓際に居たので、そっと並べて隣で寝かせてみる。よし。
好きなところの指定には「どこだったらろーにいの隣に座れる〜?」と尋ねたりして、貴方が嫌がらないのならそれを叶えられるようにしながら。
「にしてもさ、ほんとに戸籍どうにかできちゃうんだね」
などと口にする言外で求めているのは、貴方の口から語ってもらえる本当のことだ。ちら、と顔を見上げた。
「はい、かっこいいろーにいです」
かっこいいだろ。はずかしげもなくおふざけの延長でそう言って、
貴方の腕の中の子猫を見れば「かわいっ」と笑った。
「おう。折角だから一緒に何か食べたいだろ」
「オレも朝飯まだだったし……丁度よかったな〜」
朝飯にしては甘いが、見たら食べたくなってしまったのだ。
気付いたら2個買っていた次第だ。
飲み物は何がいいか聞いて、その通りにグラスに注げばマリトッツォと一緒にテーブルへ並べる。
隣に座りたい様子があれば、
クッションをソファの横に持ってきて横並びに。
自分はクッションの方に座ろう。
「まあなー。もちろん違法だけど」
「………………ノッテの人間だからね。慣れてるよ」
これだけ言えばあなたには伝わるだろうと思った。
今回の騒動で仲間が牢屋に入れられたのだと。
自分は運が良かっただけだと。
「ごめん。黙ってて」「怖がらせるかなって……」
丁度よかったな〜に、うん〜と返して笑う声は陽気なものだ、訪れた平和を享受するみたいに。
飲み物についてはミルクがあればそれをねだり、横並びになれると分かればソファにぽすんと座る。
そうしてマリトッツォにはまだ指先を伸ばさず、返答を待って、待って。
「……そっか」
内容は予期していたものだから驚きはなく、答え合わせが済んだだけに違いない。
でも貴方の口から直接伝えてもらえたことに何よりもの意味がある。
「そりゃ〜中々言えないだろ、オレが同じ立場でもそうだよ。
怖いの気にしてくれてありがとう、隠さず言ってくれたのも」
ふっと目を細めると其方へと少し身体を傾けた。
クッションとソファでは高低差があるだろうからバランスには気を付けつつ、とはいえ身長差を考えれば丁度いいぐらいなのかもしれない。
頬に当たるのはあの日とおんなじ、柔らかなひだまり色。
「……大丈夫、怖くなんかない。
だから安心してね、変わらないから」
……で。
結局それだけじゃ足りなかったから、両腕を伸ばした。
貴方の頭を抱え込んで、それから左手でやさしく髪を撫でる。
抱いているこの思いがちゃんと真っ直ぐ届くよう。
「きれいじゃなくても、ろーにいがだいすき」
違法頼んだのオレだしな、とも、笑声を傍で揺らしながら。
「お前の事こっちのゴタゴタに巻き込みたくないし」
「どうせだったら
マトモ
な部分だけ見て欲しくて……」
貴方をそういう世界に触れさせたくはなかった。
無かったけれど、貴方がそうやって許すから、
正直に言おうと思えたのだ。
それでもこれは言い辛そうにしていたけれど。
「え」
──伸ばされる両腕に、ぽんと抱き寄せられる。
抱えられた頭を、自分よりも小さな手が撫でている。
「あ」「…………」「フ、フレッド」
「オレ、」
これは途端に驚いた顔をして、何回も瞬きをし。
ふと弱弱しく名前を呼んで、貴方の胸に頭を押し付ける。
弟に甘えるなんて思っても無かったけれど。
「……きらわれなくてよかった」「安心した……」
「…………あは。オレもお前の事は好きだよ」
今は抱き締め返すよりも、この時間を享受していたかった。
穏やかに目を閉じて、ぽつりと「よかった」とまた言って。
「お前……これからどーすんの」
「他に手伝う事無いの。オレやるから……」
貴方が見せたいものがあるのならそれだけを見続けているのも良かっただろうか。
だけれどだいすきだと思うからこそ、全部知っていたいとも思ってしまう。
何かあったときも足元を揺らがせることなく、同じ言葉を紡げるように。
弱弱しく名を呼ぶ声に戸惑っているなと感じながら。
それでも嫌がられているわけではないから、抱きしめたままだ。
「……うれし」
貴方を甘やかしたいし、こうすることで自分だって甘えている。
柔らかな髪を幾度も撫でてはここに在る愛情を伝えるように。
「他はぁ……ええっとさ、街出ようと思ってて。
オレ、ニーノって子の代わりしてただけなんだけど、死んだことになったから。
死人歩いてちゃだめでしょ、だからそう……出るんだけど……」
「……それまでの家がないです。
野宿でもしようと思ったんだけど」
お金はたくさんあるとはいえ有限だ。
節約するべきところは節約しようかと考えていたが。
抱きしめていた腕を少し緩めて、そぅと貴方の瞳を見つめた。
「街出る準備できるまで……ろーにいの家に泊まっちゃダメ?」
「え。街出んの? 近場?
てか今そんな事になってんの? 難儀だな……。
遠かったらやだな……会いに行けなくなる」
街を離れる事については、素直に寂しそうな顔をした。
きっとパン屋で会える事も今よりずっと少なくなるかもしれない。
死人が歩いていちゃあいけない理屈は分かっているけれど。
腕が緩まれば距離は少しだけ離れる。
何を言うつもりなのだろうかと見上げればきっと目が合って。
「………………」
「なんだ。オレが断ると思ってんの?」
にま、と笑った。
そういう事ならお安い御用だ。むしろ嬉しくもある。
いつか話していたお泊り会が、
ちょっと長めに開催されるようなもの。
ロメオはそのまま身体を起こして、今度は貴方に手を伸ばす。
叶うならそのまま、むぎゅっと抱きしめて。
「いいよ。泊まりなよ、オレの家は自由に使いな。
鍵も渡しとくかな……あ、落とすなよ。色んな意味で危ない」
「あと夜帰り遅かったりとか……他の人が来ても良いタイプ?
多分たまに来たりすると思うから……」
そうやって撫でくりまわしながら、注意事項の確認。
「近場……かなあ。
まだ決めてない、とりあえず知り合いあんまりいないところ〜って……」
貴方があんまりにも素直に寂しそうな顔をしたので。
寂しくさせるのが自分だってわかってるのに、なんだか笑ってしまった。
嬉しかったのだ、そうやって求めてもらえることが。
なのでもう一度、いや二度ぐらい、やさしく髪を撫でてから。
にま、向けられた笑みに更にこちらも笑みを深めていれば……むぎゅっと。
「ゎ」
貴方に抱きしめられると本当にいつもすっぽり収まってしまう。
あの牢の内に居たときからそうしてほしかったと、
望む心が満たされていくのを感じて、しあわせだ、と思った。
「へへ……
ろーにいならいいよって言ってくれると思ってた」
「はぁい、鍵は失くしません、大事にするし」
「帰り遅くなってもいいよ。
オレ寝てておかえり言えないかもだけど……」
「誰か来るのも大丈夫、だめなときは外に居るし。
そうじゃなかったら家の中で大人しくもできます」
注意事項にはきちんと全てに返事を返す。
だって大事なことなんだろう、そして全部大丈夫。
ぎゅっと抱きしめながらも顔だけは上げて、貴方を見上げて。
「……だから、しばらくよろしくね?ろーにい」
無職なので家事はしまーす、と。最後に付け足して笑っていた。
「……そっか。そっかあ、ならいいや。
オレが会いに行ける所ならどこでも……
あ。治安いい所にしろよ」
オレが言う事じゃねえけど!なんて付け足した。
髪を撫でられている間は、やっぱり目を閉じて嬉しそうに。
せっかく兄弟が出来たってのに、すぐにお別れなんて嫌だったのだ。会いに行けるなら、顔を見に行けるなら、それならいいかな。
包むようなハグはちょっと力が強くて、
それでも苦しくはないくらい。温かい体温は変わらないまま。
「言うよ。相手がお前なら猶更」
「帰ったら猫とお前が居るのか……嬉しいな。
ホントに家族みたいだな。アハハ……」
想像をしたらどうしようもなく嬉しくなった。
貴方が旅立つ時に離れ難くなっていたらどうしようか。
『フレッド』としての新たな再出発を、
自分は笑顔で見送っていたいのだ。
「……うん。こちらこそよろしく、フレッド」
頼みまーす、と笑って返して、背に回した腕を離す。
こうして一緒に居る時間が限られているのなら、
それまではこうやって家族らしくしていよう。
本当の家族じゃないけれど、本当の家族みたいに。
▷
「……マリトッツォ溶けるわ」
食おうぜ、と促して朝食と称した甘味を手に取る。
まずはゆっくりお互い休もう。
これから文字通りきっと、新しい一日が始まるんだから。
ちょっと力の強いハグは苦しさを教えるものではなくて、
貴方からの愛情を教えてくれるものだ。
兄弟としてのこれからは始まったばっかりだったのに、
すぐに遠くなってしまうことはこちらも寂しいけれども。
「そうだよ、ろーにいが帰ってきたらにゃんことオレがいる。
へへ……競おうかな、この子たちと。
どっちが早く玄関までろーにいを出迎えられるか……」
それでも、それまでの少しの間だけでも。
貴方に家族の温もりを与えられるのなら。
"オレでいいの"、と。
零された小さな声を未だ、覚えているから。
「…………────」
そうして腕が離れた頃。
そっと伝えられる感謝には目を瞠り。
呆けている間にマリトッツォを手に取った貴方を見て、眦を下げる。
すこしだけ、視界が滲むのを感じながら。
「…………それなら、オレだって」
[1/3]
さて、翌日。
正式な手続きを踏まず脱獄した女にどれほどの時間があるだろう。
少なくとも今ここで、自宅のアパルトメントへと立ち寄るような女ではなかった。
「…ただいまあ」
だから、最後に立ち寄ったのはそのホテルだった。
…変わらず、照明はついたまま。誰もいない室内に声をかける。
そうして真っ先にデスクへと向かい。
そこにある『大切なもの』たちを見つめ、ひとつひとつを回収してく。
冷蔵庫から、チョコレートも取り出した。
片腕にそれら『大切なもの』たちを抱いて。
そのまま振り返り、部屋の隅を向く。
ちょこんと最後にひとつ残されたスーツケース。
片腕で、よいしょ。これもそこそこ重いから、怪我した腕ではひと苦労。
…この中身は、どうしようか。
それだけは、まだ決められそうにない。
自分ひとりの問題ではないからかもしれない。
でも、いづれは決める心算ではあった。
「……溶けるのは、困る〜」
そうしてぐしと少し乱暴に目元を拭ってから、
己もまた同じように甘味を手に取る。
食べ終わったら何をしようか。
夜になっても貴方の隣に居られるのを思いながら。
久々に口に入れた甘味は幸福と呼ぶのが相応しい味がした。
──『ねえ、戸籍ってろーにいのと同じにできないのかなあ』
そうして食べている最中、そんなことを零していただろう。
難しかったら大丈夫、あんまりよくわかってないから、と添えてもいたが。
──『そうしたら、ほんとの家族になれるでしょ』
すれば離れたとして、貴方の寂しさも少しは紛れるかなって。
子どものような発想を声に載せて。
──『そうじゃなくても、ほんとの家族だって思ってるけどね』
貴方の弟は甘えただから、変わらずぎゅっと肩を寄せて笑っていた。
[3/3]
「常連さんには、結局なれませんでしたしねえ」
そうひとりでに、からころ笑う。
喜ぶべきか悲しむべきか微妙なところだ。
女はそもそもコーヒーという飲み物の味が好きではなかった。
今まで一度も、誰にも、そのことを口にしなかっただけで。
荷物に両腕を抱えて、女はホテルを後にする。
もうここを訪れることもないだろう。そうやって初めて照明を消した。