気絶しそうなくらい安心しました。
もっとも、信じてはおりました。
ええ、確信しておりましたよ、ナディルが自由に存在し、謳歌できる世界は、ここだけだと。

それでも、この手を取ってもらうまでは不安なものです。
私は骨がなくなったように、ぐにゃぐにゃに安堵し、感謝し、幸福に包まれました。




なんということでしょう！
ナディルが私の手に手を重ねています。

ナディルの手は少しひんやりしていましたが、それはこちらが熱くなっていただけかもしれません。

「なんででしょうね」

手をにぎにぎしながら、言います。

――キミに初めて会ってからの私と、今の私とは、もうずいぶん違ってしまいました。

申し訳ありません。
私ははじめ、キミが転生する前の親愛なる兄天使の姿を、キミに求めていたんです。
それだけの執着だったのです。


ええ、今は違います。
目の前のキミ、ナディルを、本当に、好きになりました。
己を見失い、苦しみ、そして取り戻したキミの姿の、なんと尊いことか。
私はキミの幸福を守りたい。

ナディルの、素朴な、子供のような問いに、私はたまらず手を伸ばしました。
頬に触れます。
あますところなく、愛しい。

「私がキミを導きたいのは、ナディル、キミと共にいたいから」

声に色が宿ってしまいましたが、このどさくさで赦されはしないでしょうか。

ほやほやと熱に浮かされていましたら、ナディルはとんだことを言い出しました。

「堕天ですか」


ぱちぱちと瞬きをします。
それはアリなんですか……はい、そんなこと思いつきませんでした。
神に仕えることが当然でそんな自分を疑いもしませんでしたが、一歩引いて考えてみれば神もある意味なかなかの無茶ぶり傲慢野郎でしすね。


堕天……堕天。
困りましたね。
頭の中でいくら検討しても「それは無理、いけないことだ」と言う自分がいないんですよ。
正直に言うと、このナディルが言うならまあいっか。
色々なことは後から考えましょう。
……といったところです。


そして、ナディル。
私はこんな台詞を口にしてしまえるキミのことを大変好ましいと思っていますよ。
破天荒というか無邪気というか、天然です。
自由になったナディルの破壊力は凄まじいものです。

そしてナディルはとびきりの欲しがりです。
天使に羽根を捨てろと言いますか。
そんなに私が欲しいですか。




堪えきれない笑いが漏れると、もう止まらなくなって。



自分がこんな風に声をあげて笑うなんて、知りませんでした。

「ええ、いいですよ、ナディル。
　それによってどうなるかは解りませんが
　キミが望むなら私は神を見限りキミに殉じますよ。
　ええ、喜んで。

　だから……勝ってください」

身を乗り出して、額に口づけて。
それから、ぎゅうと抱きしめました。

「なんでついてくんの？」
「私のことは気にしないでください」
「無理があるだろ」

ずんずん歩くアルバリの背中を追いかけて歩きます。

……アルバリの腰から愛刀が消えています。
ラナーの仕業ですね。
悲しいです。
ラナーは善意の存在ではありますが、残念ながら愚かです。



とでも言ったのでしょう。
相方のことは解りますよ。


何故ですか。
死から逃げまどうアルバリを救ったのが、アルバリを選び支えたのが、意志を持った妖刀フォーマルハウトだと。
彼らを引き離すことは見ている側のエゴでしかないと、何故、解らないのですか、ラナー。

従ってしまったアルバリは可哀想です。
涙がにじんで、今にもこぼれそうです。

アルバリは立ち止まって、こちらを見ました。

「言いたいことがあるんだろ。言えば」

待ってくださいね。
言いたいことだらけでパンクしそうなんですよ。

「結論から……。
　アルバリ、地上に戻ってはいけません。

　キミは優しい。
　いずれその優しさがキミの身を焼くでしょう。
　生きるために多くの命を犠牲にしてきた事実は……

　ああ、こんなことを言いたくはありませんが
　キミの心情は変わっても、キミの根底は変わらないのです。
　キミは多くの犠牲者アルバリを背負っている」

地上へ戻れば、アルバリは更に傷つく。
――見えている破滅をどうして見過ごせましょうか。

フォーマルハウト……アルバリに生きるすべを示した妖刀を捨てたアルバリが、両の足で立てるとでも？


「アルバリ……煉獄にいましょう。
　、、、、、、、、、、、、、、、
　キミの地上での生はもう終わった。
　地上に還ってもやることはありません。
　どうか、解ってください」

それがアルバリの希望ではないことは知っていて。
でも、私はこう懇願するしかありません。
地上は苦痛であり、希望ではないと、言わねばなりません。
堪えていた涙がひとつ、落ちてしまいました。