[ 眠る前、やる気の無さそうな店員さんは
　戻りたいところを描いてドアを開ければ、
　元のところに帰れると言ってくれた。

　だから、今は、少しだけ。
　カウンター近くのソファで丸まって、眠る。

　微かに気配が動いて、柔らかな布の感触が自分を覆った。
　
　　

　あの子たちと過ごした日々を思い出して、
　苦悶の表情は、少しだけ和らぐ。

　夢の中で、歌が聞こえた気がした。
　旅人が、無事に帰れるようにと願う歌が
　
　　　　　　　
　見ず知らずの人間に、願ってくれる、その心が嬉しい

　　
　
　すやすやと、眠る。
　その夢は、とても幸せな夢だった。**]

―　幸せな夢の中　―
[ 温かい毛布に包まれて
　温かい願いに包まれて

　異形の鬼は、すやすやと眠る。

　疲労と空腹の中、少し苦し気に、だけど安らかに

　大切なあの子と出会った頃の夢を見る。]

　
　　……お腹が空いたな、やっぱり無理だよ

　　　　　　
　　僕らは、異形の鬼だから、人を喰うことを止められないよ

[ お腹が空いて、たまに
　寝静まった家に忍び込んでは、少しだけ生気を分けてもらう。

　それでは、足りなくて、あの子から生気を分けてもらう。
　それでも、足りなくて、僕は泣きそうな声を零した。

　生気も吸い過ぎれば、相手は死んでしまうから
　あまりたくさん吸う訳にもいかない。

　1日に大人数の生気を吸えば、怪しまれるし
　吸った生気から得る色々な想いが入り混じって、
　悪酔いしてしまうから、食事は一度に少しずつしかできない。

　だから、いつも空腹だった。
　あの子たちに出会う前は、好きなだけ貪ってから、
　いつも腹は満たされていたから、余計に辛い。]

　


[ 黒い瞳がじっとこちらを見つめてくる。
　そんな君からも、すごく美味しそうな匂いがする。



　そんな言葉を言おうと、口を開けば、
　ぎゅうと抱きしめられた。]



[ どきりとした。
　薄紫の瞳を大きく見開いて、焦る。

　いつ見られたのだろう。
　この子の前で、人を喰ったことはなかったはずなのに

　しかも、泣いていたことまで、知られているなんて
　恥ずかしくて、頬が熱くなるのを感じた。]

　
　　どう……して、……？



[ あの白鬼め、余計なことを。
　歳で言えば、あちらの方が上だし、能力的にもあちらが上。
　抗議をしても受け入れられないだろうな。

　ぐぬぬ、と内心、悔しげに呻いていれば、
　慰めるように頭を撫でられる――僕の方がずっと年上なのに]

　　泣い謝っても、僕は人間を喰ったこと、
　　喰いたいと思ってることは変わらないよ

　　この先もきっと、変わらないよ
　　今は、ちょっと物珍しくて、君たちに付き合ってるだけ

[ 恥ずかしくて染めた頬を隠すように、


　柔らかい女の子の身体を抱きしめ返した。]

　
　　あぁ、……お腹が空いたなァ

[ チカチカと、瞳に紅を滲ませながら、溜息混じりに呟いた]



[ 差し出すように晒される白い首筋。
　ごくり、と喉を鳴らした。]

　　君はずるいな……

[ その首筋に、軽く唇を押し当てて、小さく笑った。
　彼女の血を口にしてしまったら、
　もう後戻りはできない気がする。

　いや、この場合は、進めなくなると言った方がいいかな。
　この子たちと一緒に歩めなくなる気がする。

　だから、僕はただ笑って
　空腹のまま、しばらく彼女を抱きしめていた。*]

―　現在：漫画喫茶にて　―
[ 浅い眠りから、ゆっくりと目覚める。
　夢見が悪くなかったのは、温かな毛布のおかげが、
　それとも、無事を願ってくれた想いのおかげか。

　目をごしごしとこすりながら、のそりと起き上がった]

　　――――お腹が空いた

[ 相変わらずの第一声だった**]

[ 独り言が聞こえたのか、店員さんから声がかかる。>>25
　寝ぼけていた思考が、一気に目覚めて、一瞬だけ
　ぱちくりと、瞳を瞬かせた。]

　　あ、あぁ、おはようございます

[ カウンターの向こう側で、何か動いている気配は感じるが
　それが尻尾だとは気づいていない。
　――まさか、かなり心配させていたとは露知らず

　不思議な場所だ。
　外の世界とは、空気が違う。
　知らない場所なのに、知っているような気もする。

　店員さん、どこか人間とは違う気配がする。]

　
　　ご飯……作ってくれるんですか？

[ 軽食とは、どんなものか想像ができなかった。
　白鬼とあの子が食べていたものだろうか。

　こてりと、首を緩く傾げて思案する。

　血や肉や、生気以外は、口にしても腹は膨れないが。
　味を感じることくらいはできる。
　
　あとは、動物の肉なら、多少腹の足しにはなる。

　少し考えた後に、こくりと頷いて]

　　
　　お願いしても、いいですか？
　　何か、肉が入っていると、有難いです

[ そう言えば、店員さんはどこかへと消える。
　
　　
　
　小さな疑問が、ぐぅ〜と鳴いた腹の虫に掻き消された。
　向こうの方から、良い匂いがする。
　それから、料理をするときの音だ。

　あの子が料理する時も、こんな音だったな。と
　懐かしそうに耳を傾けていた。]

[ 出てきた美味しそうなナポリタン。
　ソーセージでも入っていれば、それで喜んで]

　　ありがとうございます

[ にこりと笑った。
　人間向けの、無邪気な笑みで受け取れば、
　目の前の更を興味深げに見つめて、
　フォークでくるくる、
　パスタを器用に掬い取って、口に運んだ。

　しょっぱい。
　美味しい味がした。

　お腹は、膨れはしないけど、]

　　――――美味しいですね

[ 作ってくれた人への感謝を込めて、そう言った**]

[ "美味しい"を感じられるのは、
　自分がまだ、生きているという意味。

　そう言ったのは、誰だったか。

　普通の食事の味を、まだ感じられる自分は
　まだ、ただのバケモノに堕ちていないということだ。

　人が食べる食事をしていると、ふいに頭が、ずきりと痛む。]



[ 上品な女性の声が、愉しそうに嗤う。
　


　今なら分かる。
　美しくて、冷たくて、恐ろしい声。
　
　恐ろしいことを、いとも簡単に言う。
　魅惑的な誘い文句で、戻れない場所に導こうとする。]

　
　

　
　

　
　　

[ 頭が痛い。
　カランと音を立てて、フォークを落として
　頭を抱えて、蹲る。

　

　血を啜って、肉を噛み千切って、骨を砕いて、
　甘くて、旨くて、蕩けるような甘美な食事をしたい。

　くらくらする、美味しそうな匂いは、外の世界に
　あの扉の向こうに、たくさんある。]

　
　　

[ 今度は、諌めるようなハスキーな声が頭に響く。

　あの子の声が、
　傾きそうになった天秤の元に戻してくれた。

　あの子が嫌いな、鬼にはなりたくない。]

　　っ、……はぁ、
　　ちょっと休憩が足りなかったみたいだから

　　えっと奥の個室で……休ませて、もらいますね

[ 本を読む為の場所で、休憩するのも悪い気がしたが
　ここで苦しんでいると、心配させてしまいそうだったから

　店員さんに一言告げてから、奥の個室に向かった。
　そこで、飢えの波が去るのを待とうと思って**]