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【人】 グレイス彼を想う彼女と 彼女を想う彼と。 彼と彼女が同じ時を重ねることは、 もう叶わなくなってしまいました。 二人は終わった、と思っているようですが。 終わってはいませんよ。 むしろ、 追憶 の物語はここから。 (1) 2022/02/16(Wed) 4:12:21 |
【人】 イングラハム朝、私が目を覚ましたのは自室のソファー。 時刻は朝の4時とかなり早く 深いため息と共にグアテマラの煮汁を 乱暴に喉に流し込むと窓の外に映る朝日を眺めていた。 今日は自身のピアノ教室の教え子の発表会で その分私の仕事も多いということで こんな時間に目を覚ましているというわけだ。 (4) 2022/02/16(Wed) 22:12:52 |
【人】 イングラハムあの日をきっかけに 私はピアノというものが嫌いになった。 絶対に傷をつけないと誓った指先は 今となっては誇りなき傷にまみれて カッターの切り痕や何かを殴り抉れた 指の甲を隠すために常に手袋をしている。 公演やコンサートでピアノを弾くことも 誰かの前で演奏を披露することも 今に至るまでもう二度と、ない。 (5) 2022/02/16(Wed) 22:13:46 |
【人】 イングラハム学校を卒業してからというものの 私はこの街を離れるつもりでいた。 海も、ピアノも、その残骸を全て捨てて。 しかし数奇な運命は突如として 私に演奏を教わりたいとわざわざ隣の街から やってきた子どもによってもたらされた。 「私は誰かの前では絶対に演奏しない」 そう突き放すように私が吐き捨てても それでもと食い下がる子どもに 私はとうとう白旗をあげることとなる。 (6) 2022/02/16(Wed) 22:14:43 |
【人】 イングラハム子どもに白旗をあげてから数年。 私は今年で二十五の歳を迎える。 ちょうど昔の痛みも折り合いがついてきた頃で 今はこの教え子の面倒を見ることで なんとか生き長らえることが出来ていた。 (7) 2022/02/16(Wed) 22:15:37 |
【人】 イングラハム覚醒した頭を働かせて 独り言を呟くと私は机に向かう。 ピアノを教える傍ら、作曲という 新しい日銭稼ぎに辿り着いた私は 日銭の素を紙面へと混ぜ込んでいった。 そうだ。私にとってはもう こんな物は食い扶持を探すための 方法の一つでしかないのだ。 (9) 2022/02/16(Wed) 22:21:06 |
【人】 グレイス逢魔が時。 昼から夜へと移りゆく狭間の時間。 普段なら、起こり得ない何かが起こり 重なるはずのない二つの世界が重なる時間。 彼女の呼び声が彼に届く瞬間が 確かに、訪れるのです。 それは届かないはずの想いが 世界を越えて届くとき。 散ったはずの 蕐 の香りが漂えばそれは蝶を惑わせ、引き込みますから。 (10) 2022/02/16(Wed) 23:43:27 |
【人】 グレイスその声に気づいてしまったのなら。 何処か、懐かしくも感じる声に振り返ったのなら。 その時がきっと、 始まりの時。 あぁ、でも…………。 空間が重なることがあっても。 生と死の事実が覆ることはないですから。 逢瀬は一体何をもたらすのでしょうか。 二人の行く末は 追憶 の先に。 (11) 2022/02/16(Wed) 23:48:03 |
【人】 イングラハム日銭の素が黒に彩られれば 私は万年筆を戻して一息をつく。 時刻は朝の8時 発表会まではまだ十分に時間があった。 上着を羽織ると私は外へと足を進め 刻と共に段々と変わりゆく街並みに その身を投じることにする。 そして向かう先は病院。 今はあそこに私の母親がいるのだ。 (12) 2022/02/17(Thu) 14:47:12 |
【人】 イングラハム彼女を思い出したくない 思い出したくないと願うのは 彼女を忘れられない何よりの証拠。 私にとって病院という居場所は そういう感傷に浸る場所でしかなかった。 生憎と五体満足健康な私が病院の世話に なるなんてことも有り得ず。 病院からコンサートを 依頼された時には全てその場で断っていたからだ。 (13) 2022/02/17(Thu) 14:47:56 |
【人】 イングラハムだが、そこはもはや想い出の地ではなく 時を重ねて変わり果てたただの病院。 時が過ぎれば否が応でも訪れる機会が来て 私は陰鬱な気持ちを隠しきれないまま なんの縁もない病室に顔を出すことになる。 母が交通事故で入院することになって 息子としてその見舞いに訪れる、ただそれだけ。 どうせあと一ヶ月くらいで退院するような話、 死にはしないと言うのに、大袈裟もいいところだ。 (14) 2022/02/17(Thu) 14:49:42 |
【人】 イングラハム「じゃあ、帰るから。 何か必要があるならまた連絡してくれ。」 如何にも見舞いらしい安物の蜜柑を渡せば 私は足早に病室を後にする。 病室に居ると腹が立つんだ。 昔、救えなかった悲劇を思い出すから。 至って健康な怪我人を見ると腹が立つんだ。 本当に死の瀬戸際にいた者への 冒涜に見えてしまうのだから。 (15) 2022/02/17(Thu) 14:50:35 |
【人】 イングラハム発表会まではまだ時間がある。 だが時間を潰そうにも病院にそんな場所 あるはずも無い。 ...いや、正確にはひとつあった。 彼女と初めて出会ったあの中庭。 それは最愛で最悪な、夢の始まりの場所。 背に腹はかえられぬと 誰もいない中庭のベンチに腰かければ 深く、深く、ため息をついた。 (16) 2022/02/17(Thu) 14:54:29 |
【人】 イングラハム空を見上げた私は実に醜い有様だ。 天国にいる彼女には とても顔向け出来そうにない。 名前だって、笑顔だって、 なんだって忘れることは出来ないのに 彼女との想い出は窶れた記憶となって 時を重ねると共に細部から形骸化が始まる。 あぁ、そうだ。彼女が呼んでくれた「エド」は とっくの昔に死んでいたんだ。 (18) 2022/02/17(Thu) 14:57:04 |
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