246 幾星霜のメモワール
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「これ試作品で2日しか保たないからあげるよ」
石と紙袋を交換すればくしゃりと軽い音を立てて抱え持つ。
聞き馴染んだその声を聞いて自分もゆっくりと深呼吸をしながらいつもの調子に戻していった。
「よかった、その審美眼私の探知スキル以上だね」
一呼吸置いてあなたが気遣ってくれるのを感じる。
話さなきゃ、うじうじしているのもらしくない、自分もあなたの力になりたいって言うんだ。
「聖女様の話、昼間にされたでしょ。
……私、なんだか他の人より聞こえる言葉が多くてさ。
定期的にあの痣を持った人達がどんな人なのかわかる みたい」
この街に来て、鮮明にすべてを思い出したそのとき。
聖女の言葉が頭に入ってきてその意味を理解した後。
一番はじめに聴こえてきたのがあなたのことだった。
「アンジュ。
あなたにその痣を光らせる力があるって本当?」
それは、転生者にとってはまるで。
「私ね……できたら光らせたく、ないんだ。自分の痣」
「本当ですか。ありがとうございます!」
石を貰い、両手にそれを包み込んでから、懐に一度入れた。こうしているだけでも体は温まるって、北国に行った際に教わったから。
いつも勉強していますから。あなたから教わったことや、独自で学んだことも含めて。
冒険者ではあるものの、本職は薬師であり行商の身。小さなことだけどこうした目を養うことは今後に繋がると信じているから。
「……はい」
あなたが語る声は、最初は瞬間的に理解するには難しかったけど少しずつ飲み込めた。
光らせる力があると問われると肯定した。
痣を光らせれば、祭りが終わった後消えるなんてことにならなくなる。
具体的な方法がどんなものかは――直感的に理解していた。聖女様の神託を受けた日から、きっと『そうなのだろう』という確信すら得ていた。
これがあればあの場にいた人を救える。自分にとっての『魔法の薬』なのだと。
けれどあなたは、なぜそれを拒むのか。
「なんで、ですか。元々この街には、その痣が光らなかったら消えてしまうかもしれないって噂があって……でもそれは真実らしいんです!
理屈や仕組みは分からないですけど、そうなったら嫌です。会えなくなる事になったら私……!
力に、なりたいんです! 私は助けたいのにどうしてそんなこと……!」
えー?と肩を竦めるように。
そう笑った聖女は、気分を害したというよりは「だって子どもだもん」とでも言いたげな。
確かにあなたの前にいて、声を届けて。
だけど確かに実像ではない、不可思議な聖女。
その証拠に、聖女はあなたの視覚と聴覚を借りるだけ。
触れることはない。すり抜けたことなら、幾らでもあったろうが。
"昔は"、とその言葉にも微笑みは変わらない。
では"今は"?―――聖女がその質問を紡ぐことはなかった。
冷たい色の瞳はあなたを映したまま。
そんな様子であると言うのに、続いた問いに、無垢にきょとんと瞬きして。
「 とびきりの 、よてい?
…… ううん 、ないわ。 ない。
………… ない…… けれど 」
思案の仕草に、またほの光る髪が揺れる。
冬だというのに聖女の衣服は袖もなく、すらりと細い腕は露出したままだ。
そんな白い左腕で口許に手を運んで。
ほんの少し、小首を傾げたりして。
「 ――― ふふ 」
そんな様子が、また、笑みに変わる。
「 とびきりの予定は 、ないけれど。
じゃあ、ファリエがわたしの
とびきりの予定に なってほしいわ 」
いつもの無邪気そうな声。
けれど、このときほんの少し、その笑顔に含むようなものがあったことにあなたが気付いたかどうか。
「 ――― ねえ ファリエ。
わたしと お祭りに行きましょう ? 」
聖女からあなたへ。本当に簡単な、"デート"のご提案。
「あはは。なんて虐め甲斐のないワンちゃん。
ま、あたしは結構荒事が得意な方だから、
コワイお兄さんが出たら呼んでくれればこっちが向かうわ」
こう見えて腕相撲強いんだから。
一般人範疇の相手ならどうとでもできちゃう。
「ちゃららーん。報酬は喜んでもらえたらそれでいいかな。
正に今あたし達が奇縁で結ばれてるようなものだし、
ええ、悔いは残らないようにってのは同感ですっ!
やりたいこと何でも試しちゃうつもりでいるからね。
グノウさんも、表立って言いにくいことがあれば、
遠慮せずこっちに伝えてもらってもいいよ。
叶えられることも、いくつかあるかもしれないし!」
「大袈裟、でも需要はあるかな」
ここも雪は積もるのだろうか、寒さはもっと厳しくなるのだろうか。
昔からちょっと風邪っぴきだったから、一人ぼっちにされても魔法や道具の扱いは嫌でも慣れることになったんだっけ。
一人でもこなせる様に、昔のあなたのような駆け出しを応援できるようになった自分をこれでも自慢に思ってる。愛想の悪さは治らなかったけどね。
いつからか辺りにデータのような英数字が見えはじめるようになった。
皆の視界と擦り合わせていくうちにそれが本来この世界では見えない数値として存在していることを知って。
それでもあなた達と出会った日々がゲームの世界だと、
今までの日常が非日常だと、気づいたのは本当に最近のこと。
「噂……は知らなかったわ。
でも消えてしまうのは、そうね」
本来この世界に生きるものにとっての視点がひしひしと伝わる。
消えてしまう、もう一度繰り返しても違和感のある言い方だった。
「その通りなんだと思う。
痣がこのままだったら私はこの世界からいなくなる。
……他の人も私と同じかどうかはわからないけれど、きっと」
女神の言う理に触れないだろうか、声は震えたが痛みは訪れなかった。
あなたには正直に話したい。それでも禁を破るのは怖いしあなたに天罰が狙うのも嫌だったから、言葉選びは慎重になっていた。
「アンジュの気持ちを踏みにじりたいんじゃない。
私だって会えなくなるなんて嫌だよ!」
「だけど、……私はここに居たらだめなの」
「この世界から消えないといけないの」
それは死にたいという諦念でもなく。
世界の外へ行きたいという願望でもなく。
どこか切実な祈りのようにあなたへと伝えられた。
「温かい宝石なんて、実用性もあるしすごく良さそうですね。より詰めることができたら冬場は儲かりそうです」
女性的な感性よりも商人的な感性が先に出てしまうのは、良くも悪くも後者の技能が伸びた影響か。
南国育ち故に寒さは少々苦手なものの、旅をするようになってからはあまり気にならなくなっていた。
――自分を含むこの世界の住人の多数は、きっと転生者の認識する『ステータス』を理解できない。
ただ何となく『こういう分野が得意』という一種の適性検査のようなものだと思っている。
それに従うも従わないも個人の自由だ。人生とはボードゲームのように効率的にあるものではない。
このようにして一人一人に人生があり、傷を作れば痛がり、不運に見舞われればこの世を去る。
件の『噂』はふわっとしているけど、ただならない事だというのは幼げな頭でも理解できていた。
我々にとっては不運で、彼女たちにとっては幸運だとしても。
「それなら私が……」
自分ならば救う手立てがある。消えることを許容しないことだってできる。
でもあなたは否定しながら、されど人生を諦めたというわけでもなく。
自分とは違う方向を見ているような気がした。一体何が見えているのか自分には分からない。
「……出来る限り、私はあなたの意志を尊重したい。希死念慮や破滅願望……とは違う気がしますけど。
それに今すぐこの場でどうこうなんて手段は私もとりたくありません。なので今は不問にします。
きっと気が動転しているだけなんだと思いますし……カリナさんは私の大事な友人ですから。
何をしてでも私が救います」
それに、他の選ばれた人たちも同様ならば、救わなければならない。
自分は薬師だから。命をつないで助けるのが仕事だから。
祭りの賑わいで隠された裏側。
聖女の祝福を賜った証である聖杯の形の痣を、静かに撫ぜる。
「聖女様のお気に入りになるのは大変だね」
他の参加者にも現れた痣を光らせ、祝福をより強いものとする。
それが聖女から自分たちに与えられた密命だ。
「……そっちはどうかな?やりきれそう?」
「言うと思った」
あなたの体に触れようと手を伸ばしても空を切るばかりで。
あなたの心に触れようと言葉を尽くしても木霊するばかりで。
虚像をすり抜ける刺すような冷気を感じているのはきっと私だけ。
ひとつ。またひとつ。
一緒に居れば居るほどにすれ違うような気がした。
そのどれもが劇的なひとつでなくとも、積み重なって隔たりを生み。
そうして何者も入る隙の無かった筈の距離は、一人分よりも広い空虚が占有してしまった。
それでもか細い糸を切らないで居るのは、あなたと二人きりの時間が女にとって孤独のどん底だったから。
あなたは世界で祀られる聖女だけれど、私の世界はあなただけだった。
──思う。
あなたと私は『ずっと一緒』だと祈った言葉は置き去りにしてきて良かったのだろうか。
なんて。帰るのを望んでいるのは私の方なのにね。
「一緒に?リッカってそういうことできるの?」
無邪気な言葉に大きく首を傾げた。
毎度のことながら今回は更に突拍子もない。
時間だとか、他人の目だとか、そもそも何をすれば良いのか。
疑問は尽きない。
だからだろう。また"いつもの"だと先入観が本当に無邪気か判別させなかった。
「はあ……私が考えることじゃないよね。
リッカだったら何でもアリなんだろうし。
いいよ。一緒に行こう」
疑問を隅に置けばあっさりと了承。
誘いそのものは断るつもりは無かった、というよりは諦めていた。
無意識にまるで頭を撫でるかのように持ち上がりかけた腕が止まってだらんと垂れた。
たとえ相手が正真正銘の聖女でも子供のお願いには弱いのがファリエという女だった。
あなたの前に姿を見せるようになって幾年。
無邪気に振る舞い笑う聖女。
けれど、その手を求めたことはない。
今も同じ。
1度持ち上がりかけたその手に疑問を抱くこともなく。
ただあなたがその提案を
受けて
くれたこと。
それがどうにも嬉しいようで、やんわりと目を細めている。
―――この世界をつくりあげた聖女。
望めば何だってできる。
きっと造作もないのだろう。
あなたが誰にも不審に思われないように、ともに祭りに参加するのなんて。
決して夜しか姿を見せることのできない聖女ではないのだ。
ではどうしていつも夜にしか姿を見せないのかなんて。
その答えを知るのもまた、この聖女当人だけ。
「 …… ファリエ 」
「 絶対 、やくそくよ ? 」
鈴の鳴るような声がいう。
だからと絡めるための指が持ち上がるでもなかった。
そんなものを絡めずとも、交わしてしまえばそれは約束に変わりない。
……そしてあなたは、この約束に応じてくれると思っている。
"デート"を承諾してくれたのと、同じように。
「魔女ちゃん頼りになるぅ。番犬お役御免だぁ」
もうこうなったら三頭身くらいに自分を改造して、
使い魔とかマスコットポジション狙っていくしかねえ!
「表立って言いにくいこと。
ねえ、魔女ちゃん、生活音と思考から判断して、
もしかしたらだけど今、
早速誰かとデート始めようとしてない?」
女にとってそれは然程特別ではない。
特別な関係だからこそ、普通。
まだ変わらないでいる部分はあなたの望む言葉を紡ぐことができた。
紡がれた細い糸が結び目をつくる。
「うん。約束よ」
もう腕を上げることもない。
簡単な提案は簡単な口約束で済ませた。
まるで念押しのような言葉にも聞こえて違和感を覚えつつも。
女は聖女とともに祭りを楽しむこととなった。
教会に呼び出された日に、祝福を受けた者たちの中で女は思い巡らせていた。
果たして彼女には望みというものがあるのだろうか。
女は望みがあった。
時間とともに変化しつつも、望みをあなたに投影してきた。
世界にそれができるにはあなたしか居なかったから。
人間らしく自分勝手に傍に居た女は、あなたに感謝する気持ちも皆無じゃない。
あなたの考えを問うた事は今まで無かった。
一方でいつもこうして密やかにパズルを組み立てるような時間で代替する。
どうして己のところにだけ現れるのか。
信仰心に篤い者は他にも数えきれないほど居る筈。
全能の聖女の気まぐれなのか。
それとも満たされる何かを求めているのか。
ちっぽけな人間の尺度でしか図れない女にとっては、そんな思考も堂々巡りになるばかり。
約束の日まで結局いつものように、まあいいかと不揃いのパズルを放り出して終わった。
「あっはは、まさか!
ちょっと遊びに出かけるだけだよ。
別にお互いに何も本気じゃないでしょうし」
「……それと……もしおませな妖精をするようなら、
今からでも強めに引っ叩きに行くけど?」
生活音と思考ってどこまでわかっちゃうのかな?
揶揄されることよりそっちが気になる乙女心。
「ヒェ!! 嘘です親し気に出て行った感じ見てました。
実際通信してる内容しか聞こえてきませんが、
念のため俺様ちゃんオフラインモードに移行します!
魔女ちゃんSir!」
直接打撃が飛んでくる距離ではないのに、
この身体になってから久しく感じたことない看破到来。
来世は蛙かもしれない。蛙化男子。
「ま、こっちもデート中だからお互い様だし、
明日には俺様ちゃんバラバラに分解されてるかもしれないから。
その時は組み立てよろしくって言いたくて」
そのとき二人で組み立ててくれたら早いなって。
「滅多な冗談言うものじゃありません!
びっくりしちゃったでしょ〜?
魔女のプライベートは素敵な秘密が多いんですよ」
まるで春麗かな調子。
それでも萎凋の力を扱う魔女となれば、
寒気を送り込むことなど容易い。のかもしれない。
「えっ、分解されちゃうの?
野暮用で古代文明や遺跡のこと学んでるとはいえ、
例えばオートマタとかのことはちんぷんかんぷんよ?」
単純な仕組みだといいけど。
専門は植物なのに何だか金属っぽい頼み事が舞い込むこと。
「……こんなこと言ってるのに、私を救ってくれるの?」
大事な友の目的は痣を光らすことではなく救うこと。
「ごめん、正直仲違いするのが怖かったから。
そんな風に言われると、やっぱ嬉しい。
言ってることぐちゃぐちゃだよね」
その意思を汲むには私は自分の意思を曲げられず、
否定し拒絶するにはあなたの心が酷く純粋に見えてしまっている。
「私は……」
私が救ってほしいのは。
本来此処に居るべきだった子。
一先ず大きく息を吸ってから片手をあなたに伸ばしてその手に触れようとする。
「皆が私と同じかはわからないけど。
似たようなことを考える人はいるかもしれない。
むしろ、救いの言葉を無視して攻撃してくる人がいるかもしれない」
「だからその……情報、共有とか。
出来る限りで、私もあなたの救いの手助けをさせてほしいの。
痣が光らせる覚悟は今の自分にはないけれど、一人で頑張らせるのも嫌。
……虫がいいかな……?」
くすり、と。
笑んだ聖女は、くるり。その身を翻す。
「 ――― ほんとうに たのしみ! 」
無邪気そうな声が鳴って。
次の時にはすう、と空気に溶け入るように消えてゆく。
本当にあっという間に、
その姿はその場からいなくなっていた。
「 またね 、ファリエ 」
姿なきまま、その声だけがあなたの耳へと届く。
それを最後に、聖女の気配はどこからも消えてしまっていた。
夜更けの街。
凍えそうな冷たい夜だけれど、この日雪は降らなかった。
ただ、寝入る子どもたちから、すやすやと小さな寝息の音だけが聞こえているようだった。
「カリナさんは別に、たぶん……悪いことをしているわけではないでしょうから」
何か理由があってそう言っている。
勢いだけじゃなくて、何かがあるからそう口にしている。
言えないけど抱え込んでいるものがあるのは伝わった。
――勿論、神託を戴いたからには使命は果たさねばならない。
少しだけ、自分勝手な順序を付けるだけ。
気落ちする彼女の手が自分の手に触れられた。
あなたよりも色濃い手は未熟で細いはずなのに、あなたの手は自分よりも小さく見えた気がした。
「……それは、そうですね。何かがあって荒事になっては私に勝ち目はありませんから。
あの中には戦闘に慣れた人もいますから、カリナさんの言う通り情報が欲しいです」
あなたを利用する形になるけど、願ったりかなったりだった。
一人でも多くの情報提供者がいれば救う人がより増やせる。
――それは一方的で、優位なものだけど。
「そんなことはありません。お力を貸してくれるのなら百人力です」
あなたに触れられた手にゆっくりと自分の手を添えて、小さく微笑んだ。
「えー、でもカワイイ女の子とテレパシー繋がってさー、
二人の秘密共有してぇとかなったら、
俺様ちゃんも男の子としては
期待していい場面だって思ったんだけどなー。
おかしいなーフラグどこだろう」
ワンチャンあると思ったんだけどなーワンチャンだけに。
オーケーオーケー、そういえば"魔女"という生き物は"秘匿"で強くなるんだっけか。
「いや、今のとこ大丈夫だった。
むしろこっちがバラバラにしちゃうかも。
オートマタはちんぷんかんぷんでも、
人間については多少理解あるから
バラバラにしても治せたりしちゃう? 魔女ちゃん」
今相談されてることを一番荒っぽく解決しようとしたら、
目の前に居る"彼"、バラバラになっちゃう事態なんだよなー。
「ないない、詩人の唄の聞きすぎですよ。
テレパシーができるからといって、
相手が秘密を守る保証なんてないじゃない。
お花に内緒話する方がよっぽどいいわ!
或いは、もっと好感度が上がったらどうかしら」
今はあからさまにノーチャンらしい。
秘め事、お呪い。魔女がそういった類に強いのは違いなく、
頗る呑気そうに見えて、魔女の自称は伊達じゃない。
「
もしかしてもう荒事に巻き込まれてる?
……生き物ならまだ手に負えるかもですけど、
人間がバラバラになったとき必要なのは、
魔女の手じゃなくて聖職者たちの祈りだと思うわ」
蘇生にしろ葬送にしろ、だ。
「間に合うならすぐ向かうけど、大丈夫かな。
できればあまり無茶しないでほしいのだけれど……」
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