153 『Override Syndrome』
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視点:人 狼 墓 恋 少 霊 九 全 管
───診察以前 介護施設
[ ぽたり、ぽたり、と小さな点滴筒の中を
規則正しいリズムで栄養剤が滴り落ちていく。
母に与えられた個室の内装はとても、簡素だ。
抜け殻のようになってしまった母は
何をすることもないし、望まなかった。
まともに食事をとりすらしないから、
点滴で無理矢理生かしていると言っても過言じゃない。
窓から注ぐ光が瞳に射そうとも
母の目はこちらを捉えることなく、
靄然と空を見つめている。 ]
母さん、
[ 偽りの幸せに浸り続けて
管に繋がれて生きることが、
本当に幸せだといえるのか
ずっと、ずっと考えていた。
LH法──幸福追求法。
エデンが悪いとは思わない。
それによって救われた人は、必ずいる
俺だって、使ったことはあるんだ
廃人になる人間とそうでない人間。
違いは、何か。 ]
[ 弱い人間ほど、依存する
フェイクをフェイクと割り切れない
リアルに目を向けることが出来ない
弱い自分を見たくないから
強い誰かに壊されたくないから
生まれつきの環境 与えられた足場
狭い足場を踏み外して落ちるのは何より容易く。
────…
崩れて、しまう。 ]
ごめん 応えてあげられなくて
[ 静かに、冷えた手を握っていた 某日のこと。 ]*
[鏡、自らの魂を形に変えて晒す鏡。
それがガラス細工でも薄氷でこしらえたものでも
映す先には投影だけ。
一度ヒビが入ればその筋は伸びていき、
割れた先に映るのは、本物の自分。]
親しくなくても分かる時は分かるよ。
なんとなく、だけどね。
[微笑みは嘲笑か、皮肉なのか。
しかし今ここが診察室であること。
あなたがここにいること。
それが答えだと、そう思うだけ。]
知ってる?
弱さや苦労を認めることは
決して、悪いことじゃないって。
[それが怪我であろうとも、病気であろうとも
精神的な疾患であっても関係ない。
いつかは受け入れなければならないことで。
たとえ指先でガラスを砕くことになろうとも
歪みを抑えきれないあなたに、問い続ける。]
大変だと思ったことがあるんでしょう?
それなら大変だった、が正解じゃない?
[そこに在る矛盾。
自己評価と世間体の大きな剥離。
しかし必要なのは本人がどう思うかであって
世間体や第三者の視点に意義なんてない。]
[目の前で苦悶に満ちていくあなたを前にして、
かつて哲学者シオランが遺した言葉が脳裏を過る。
思い出したくもないだろう古傷。
それでも私は、示さなければいけないから。
たとえそれが、あなたを内側から
乱暴に引き裂き、襲いかかろうとも。
]
[私の手にあるあなたの傷痕。
見せれば返ってきたのは露骨な拒絶で。
やめろと悲鳴を上げるあなたの前で
私は紙束を一枚、一枚と捲る。
そして紡がれた文字列を指先でなぞると。]
[論文からあなたへと視線を戻す。
心残りなんて知らない。
最もな正論と共にあなたの音が軋むと
回らない歯車がその不良を示すように
錆び付いてしまった螺子が呻いた気がした。
怒りか、恐怖か、絶望か、諦観か。
哀しみか
私はあなたの手に自分の手を寄せると、
あなたの目を見て。]
それは出来ない。
それでも生きてもらうことが
古森佳奈の意志で、心療内科の役目だから。
[あなたの願い出に明確にNoと首を横に振る。
そして、それがどんな意図であろうとも
今自分が大変だと考える片鱗が見えた時、
私はあなたに向けて病名を告げる。]
佐々岡くんはOverride Syndromeに
罹ってしまっている可能性があるの。
罹ってしまったあなたに非はない。
でも、治療をするかどうかは別の話、でしょ?
[現状を伝えて対策を促す為の宣告。
その声は、あなたに届くだろうか。]*
[ 投影した先に映る
それは、己が姿に他ならない。
一切の装飾を施さない鏡に映る姿を
目を逸らさずに受け入れることは
なかなかに根性の要るものだ。
ああそういえば
我が家の鏡はいつのまにか
一枚もなくなった。
叩き割った、記憶が
どこか、朧に。
]
鏡は己惚の醸造器であるごとく、
同時に自慢の消毒器である。
もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時は
これほど愚物を煽動する道具はない。
昔から増上慢をもって己を害し
他を戕うた事蹟の三分の二はたしかに
鏡の所作である。
仏国革命の当時物好きな御医者さんが
改良首きり器械を発明して飛んだ罪を
つくったように、
始めて鏡をこしらえた人も定めし
寝覚のわるい事だろう。
しかし自分に愛想の尽きかけた時、
自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はない。
妍醜瞭然だ。
[ イヤホン越しの声が脳に直接触れるのとは異なり
彼女の声はどこかふわふわと、
それでいて妙に現実的な音程で聴覚を震わせる。
だらだらと流れる汗、小刻みに揺れる指先、
明らかに通常ではない体調の割に、
繰り返し呟いた言葉は穏やかで落ち着いていたと思う。
……相手にどう届いたかは別として。 ]
わかったつもりになっているだけだよ。
[ 知っているのだろうか
今、あなたが
どんな顔をしているか。 ]
弱さや苦労を認めて
この国で
どうやって生きていけ、と?
[ 何度も何度も
何度も何度も何度も
俺は目にした。
─── あなたと同じ瞳の色を。
痩せこけた野良犬を憐れむのと同じ
眩しい光を。
手が
視線が
重なる。
先程も振り払ったはずの彼女の掌は
再度柔らかく、温かく。
切り取りたくなってしまう。
]
Override Syndrome───?
[ ああ、もう。
腹が立つ。
目を逸らして、認めずに、
生きてきたのに
こんなにも簡単に
眼前に現実を突きつけられる。
国民全員が幸福になる権利があるはずの世の中で
努力は糞ほども意味をなさないと
嫉妬の焔が紅蓮に、そして漆黒に
内面を燃やし尽くしてしまう。 ]
古森さん……いや先生、
おれは、きっとまともだよ
精神に異常をきたしていると言われた人間は
そう言うって相場が決まってるのかも知れない。
だけどさ
─── 先生、楽しそうに見えるからね。
[ あの時と、きっと同じ。 ]
仮に俺が百歩譲って
OSだとしたら
……先生に治せるかい。
治れば、きっと
俺は、死ぬけど。
持っている側
のあなたには
わからないかもしれないね。
[ 触れた手を握り返すことはせず
ただ、薄くにっこりと笑う。
認めたくないけれど
嫉妬と無念の気持ちが、溢れそうで。
]
[ 許されるなら立ち上がって
診察室から出ようとするけれど。
一瞬、流した目線の奥
縋るような感情が
良い医師である
あなたには
バレてしまったかもしれないね。 ]**
[ガラス片に映るのは記憶の欠片。
しかし屈折した目で見れば虚像にもなる。
たった一枚の鏡だけで
思いもしない方へ人は壊れていくもので。
それを壊すために鏡を割る役割を持った人を
皆々、W先生Wと、そう呼んできた。]
[わかったつもりになっているだけ。
それを否定することは
自分の立場を否定するのと同じ。
それが困難を極めるから
W心療Wは一筋縄じゃいかない。
]
[同情の目は見飽きただろうか。
そこに見出す慰めの言葉も意味が無いと
むしろ毒であると、その目が物語る。
向けてはならないはずなのに
それでも抱いてしまう感情は
セーフティネットに包まれた愉悦。
医者というのは
思っていたよりも賢い生き物じゃないから。]
楽しいなんてことないよ。
けど私より苦しんでる人が目の前にいて、
私がその人より弱気じゃだめでしょう?
[触れた手に応じられることは無い。
聞こえてくるのは息絶え絶えの悲鳴で。
医者の性みたいなものかな。
どうしても嘘はつけなくて。
見捨てられるはずもない。
粉々に砕け散るガラス片に紛れる砂金
あなたに触れる上で、一番大事な心。
]
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