![]() | 【人】 今宮 水芭二年前のあの日、 私は、一度焼き切れて落ちた糸を、手づから拾いなおし、 消え去るはずの片割れに、力ずくで接ぎ合わせたのでした。* (13) 榧 2025/06/25(Wed) 21:50:47 |
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![]() | 【人】 今宮 水芭……などと、ひとたび思案に暮れれば日もまた暮れゆき、無為な日中を過ごす羽目になりましょう。 通信社務めの知人より預かった次の"課題"、すなわち次なる新聞広告のコピーライチングに取り掛かろうと文机につき、手に馴染んだ硯箱を開けたところで、 早くも墨が枝豆ほどの大きさに丸く縮んでいることに気付きました。 そろそろ春物の一重では蒸す時季です。 紗の色無地に着替え庭下駄をつっかけると、さきほど喧騒を運んできた湿り風の、その風上のほうへと繰り出してゆきました。* (15) 榧 2025/06/26(Thu) 9:11:50 |
![]() | 【人】 人形技師 サレナ・アントワーヌ「今から、皆さまに、幸せなひと時をお届けいたします。」 群衆に気負いせずに、サレナは、淡々と冷たいようで、優しいような口調で、口上を述べた。 「子供たち、皆さまに、挨拶をしておあげ。」 その言葉を合図に、なんと、並べられたフランス人形たちが一斉に、カタコトと動き出した。 (16) uebluesky 2025/06/26(Thu) 12:08:47 |
![]() | 【人】 人形技師 サレナ・アントワーヌ椅子に座っていた水色のドレスを着た人形に至っては、優雅に立ち上がり、ドレスの裾を掴んで、片足をスッと前に出し、洋風のお辞儀をする。 群衆から、「おーっ」と、一斉に喝采が上がった。 「買った!」 「いくらだい!」 「言い値で買うぞ!」 急に不思議に動き出した人形に、たちまち、群衆は、虜だ。 「ふふふ、お一つ、百円でございます」 百円と言えば、当時の日本にとっては、高価であった。 (17) uebluesky 2025/06/26(Thu) 12:15:46 |
![]() | 【人】 人形技師 サレナ・アントワーヌ「おっと、嬢ちゃん、それは、いくらなんでも高すぎやしねえかい?」 一人の男が、詰め寄ってきた。 「やむを得ません。何せ、不思議なパワーを秘めたるものですから」 粛々と、答える。 不穏な空気に、他の群衆がオドオドとし始めていた。* (18) uebluesky 2025/06/26(Thu) 12:19:01 |
![]() | 【独】 男報告。 甲第一作戦、本日六月二十五日、安置後──日目、観測、異常なしであります。 観測後速やかに甲第二作戦に移行。 ㊅への接触準備、万端であります。 (-0) yuma_werewolf 2025/06/26(Thu) 21:42:56 |
![]() | 【人】 人形技師 サレナ・アントワーヌ「それでは、皆さんとの縁を祝して、1体100円のところ、10円とさせていただきます。いかがでしょうか?」 サレナは、微笑む。 他の群衆から、次々と 「買った!」 という言葉が上がる。 が、詰め寄った男は、収まりどころが悪いのか、いまだに意固地になっていた。 「動く人形なんて、聞いたことがねえや!何か、イカサマしてんじゃねえか?!」 (19) uebluesky 2025/06/26(Thu) 22:04:26 |
![]() | 【人】 人形技師 サレナ・アントワーヌ「それでは、あなただけ特別にこちらの我が子をお渡しします。壱円とさせていただきます。どうですか?」 サレナは、トランクから他の人形とは異なり、肌も髪も服も黒一色のものを取り出した。 「黒色は、縁と縁を結ぶ、と言われております。あなたに幸あらんことを」 男はようやく落ち着いたようで、 「おう。特別か。ふん。そしたら、買ってやらあ」 「お買い上げ、ありがとうございます」 (20) uebluesky 2025/06/26(Thu) 22:11:01 |
![]() | 【人】 人形技師 サレナ・アントワーヌ詰め寄った男は、早々に去っていったが、他の好意的な客は、次々と、人形の素晴らしさをサレナを伝えていた。 一方、先ほどの男は、人形を雑に握り歩いていた。 「ったく、西洋かぶれが」 サレナへの悪態だったが、その時に、黒い人形の瞳が光ったような気がした。* (21) uebluesky 2025/06/26(Thu) 22:24:38 |
![]() | 【人】 男久々に袖を通す背広は柔らかく、そして涼しい。 常に右胸に揺れていた飾緒を解くのは僅かに物寂しさが残るが、我らのような人間の性か、簡素淡泊なものには直ぐに慣れてしまうであろう。 道行く民草の、どこか緩みのある足運びも、いずこからか漂う醤油の匂いも、周りのもの一つ一つが所謂 "地方" を感じさせる。弛緩というのは、それが許されている状況であるという点において、何物にも代えがたい宝だ。 この者らが安穏としていられるのは、陰ながら前線に立ち外患を押しとどめる存在あってこそである。が、それすらも忘却の彼方に置き去られているこのご時世には憂慮を禁じ得ない。 (22) yuma_werewolf 2025/06/26(Thu) 23:06:01 |
![]() | 【人】 男皇国の荒廃 を決する有事にふたたび相まみえようとした時、我らに為す術はあるのか。かつて薪上に起居し胆汁を嘗めるような忍耐の末、結実した栄光を、喪わずに居られるのか。 その命運を決定づける方策は、今我らの手の中にある。 (23) yuma_werewolf 2025/06/26(Thu) 23:06:51 |
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![]() | 【人】 今宮 水芭馴染みの文具屋は、商店街の外れの、人いきれの途切れた一角に、ここだけ長閑に時が流れているかのように変わらぬ店構えでおりました。 いつもの、で通じる品物を二、三繕ってもらい、ぽっかり空いたように静まった路地に別れを告げるまで、わずか三分ほどだったでしょうか。 そこからはふたたびに人波に揉まれ流され、元来た道をジグザグと縫って進みます。 気休め程度のぬる風も、雑踏という防風林でせき止められ、じわりと汗が滲んでくるのでした。 (24) 榧 2025/06/26(Thu) 23:14:05 |
![]() | 【人】 今宮 水芭それにしても、なんという人だかりでしょう。 外国の珍品を売る行商が、さかんに客寄せをしています。近頃は舶来のものも手に入りやすくなり、我が家にも、繊細に彫金された伊太利語の地球儀が、父の書斎にひっそり佇んでいるくらいです。 ひときわ大きな黒山があり、そこさえ抜ければ広い大通りに出ると自らを励ましつつ、何とかかき分けます。ほっと一息ついたところで、目に入ったのはしかし、思いもよらない光景でした。 (25) 榧 2025/06/26(Thu) 23:54:35 |
![]() | 【人】 今宮 水芭その開けた空間には一つの展示があり、人々はそこに目を奪われているようでした。意図せず観衆の最前列に躍り出てしまったせいで、その全体がくまなく目に入ります。 それは紙芝居師の見せるジオラマのようでいて、今まで見たことのないゴージャスな気風を纏って陳列されていました。 欧羅巴風の家々、家具の類。それらは小さいながらも、精巧さは本物に引けを取らぬほど。 そして何より、その中にちょこんと並べられた人形たちが、表情豊かに息づいているのでした。 おぼこさのある鼻と口は、絵画に見る白皙人種の子供らしく取り澄まし、さらにその上の眼窩には透き通るような瞳が嵌め込まれています。 こちらを真っ直ぐ見上げる彼らの双眸には、まるで視力があるかのような妙な現実感があり、 そう思うと熱く蒸した背筋からすっと汗の引く心地がいたしました。 (26) 榧 2025/06/27(Fri) 0:25:12 |
![]() | 【人】 今宮 水芭小さな人形たちの奥にはもう一体、等身大の人形が、これまた真っ直ぐな、そして冷徹にも取れる面差しを観衆に投げやっていました。 亜麻色の髪に見え隠れする頬は白蝋のように透き通り、その奥の血の気はこの距離からですとうかがい知れれません。 唯一つ、薄紅を刷いたような小振りの唇だけが、この大きな人形に唯一の愛嬌を与えているように思えました。 高く差す日の照る暑気の中で、人形たちのおわすこの間だけは、気温が数段下がるような、そんな気がするのでした。 (27) 榧 2025/06/27(Fri) 0:39:47 |
![]() | 【人】 今宮 水芭「今から、皆さまに、幸せなひと時をお届けいたします。」 等身大の人形が唐突に口を開きました。 背後の人形と思っていたのは、実は人形売りの行商だった……そんな驚きも冷めやらぬまま、 今度は小さな人形たちがめいめいに動き出したのですから、いよいよ吃驚仰天です。 めまぐるしく注がれる未知の奔流はすぐに恍惚と変わり、私はすっかり人形たちの織り成すの舞台に魅入ってしまうのでした。 これも外国の絡繰仕掛なのでしょうか。 あまりに滑らかな所作は、作りものなのか、そうでないのか、境界は曖昧です。 その曖昧さに強く惹かれながらも、 夢を見ているようなその感覚に己の "病癖" 背筋に、こんどはハッキリと一陣の冷気が吹き抜けていきました。 (28) 榧 2025/06/27(Fri) 1:01:37 |
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![]() | 【人】 今宮 水芭陽光の熱を額に覚え、野次馬のざわめきを感じた時、 人形たちの舞台が終わっていたことに気付きました。 黒山の中心にいる亜麻色の髪の女は、野暮ったい値切りの声も飄々といなしてゆきます。 やがて交渉が成立したのか、人形のいくつかが買われていったようです。 珍しい舶来品に騒ぎ立てる人々とは裏腹に、私には人形を買う気は起きませんでした。 やけになめらかに動く人形にも、それを売る女にも、美しさの裏に言い知れぬ翳りがあるように感ぜられ、ここから離れねば、という思いが私を急き立てました。 (30) 榧 2025/06/27(Fri) 1:32:53 |
![]() | 【人】 今宮 水芭私は何食わぬふうを装って身をひるがえしました。 露店を後にし、角を曲がりきると、今度こそ足をはやめて家路をいそぎました。 帰路のあいだ、あの透き通るような西洋人形の視線が背後に貼り付いているような感覚が、いつまでたってもこびり付き離れませんでした。* (31) 榧 2025/06/27(Fri) 1:38:03 |