車は駅前に着くと静かに停車した。


　「 着いた、な。」



ここで、彼女が車を降りればそれでおしまい。
さっき彼女が言った通りたまに連絡が来るかもしれない。
でも、きっとしばらくすればそれもなくなる。
だからと言って何もできないし、何かしようとも思えない。



エンジンを切ると、助手席の瀬里へと視線を向けた。*

　


　「 病？
　　 ………そう。だったんだ。 」


　病によって、恋矢を抜かざるを得なかった。
　そんな話は今、初めて聞いた。

　ううん、��瀬里�≠ﾍ知っていたんだろう。
　知ったうえで、それを受け入れたとき
　私は、どう思ったんだろう。

　うらやましい、の声に私は小さく微笑んだ
　
　
　「 これほど楽しそうに過ごしていたのに
　　 恋心と記憶が消えてしまったのは……
　　 ……きっと、悔しかっただろうな。 」


　恋心が消えるときの感情なんてわからないけど
　でも大切にしていたものを喪わざるを得ないときの
　悔しさとかなら、分かる気がするから。

　

　

　駅前で車が止まる。
　私が全く知らない駅だったけれど
　きっと家までは帰ることはできるだろう。


　「 ……うん、 」


　貴方の視線がこちらへと向く
　
　ここで、私が車を降りればそれでおしまい。
　時々私から連絡をするかもしれない。
　だけどそれもいつ終わるかはわからない。
　だからと言って何もできないし、何かしようとも ──




　

　





　

　
　「 泣かないでくれ、
　　 わからないけど、
　　 どうしてかはわからないけど、
　　 瀬里に泣いてほしくないんだ。」
　

　

　

　
　「 こんな終わり方は嫌だ。」


理由を聞かれてもわからない。
だけど、こんな終わり方は絶対に嫌だった。
昨日までの��蓮司�≠ｪとかじゃない、昨日も今もなく俺が嫌だと思っている。*

　


　「 …っ、ごめんなさい
　　 泣くつもりとか、なくて 」


　意に反して流れ出た涙を
　あたたかな指先が拭うなら、
　私は思わずそれを否定するけれど、
　涙は簡単には止まってはくれなかった。



　

　

　こんな終わり方は嫌だ。
　はっきりと音になって耳に届いたそれに
　私はこくりと頷いた。


　「 私も。こんな終わり方は嫌 」


　理由なんて私だってわからない。
　だけど、こんな終わり方は絶対に嫌だというだけ。

　

　


　「 私ね、記憶を取り戻したい
　　 どうしたらいいか、わからないけど… 」


　恋をしていた私も、今の私も、私だというのなら
　恋をしていた時の私の記憶を、取り戻したい。
　オーディオからは相変わらず透明な歌声が響いている。 *

　

　
　「 恋人に、……ならないか？ 」
　

それは提案。

恋心がなくても、かつての二人に関する記憶がなくても、二人が恋人同士でお互いを深く愛していたのなら。
中身が伴わなかったとしても、
その形がもしかすると何かのキッカケになるかもしれない。




　「 きっと、
　　 ��瀬里�≠熈�蓮司�≠烽ｻれを望んでいるはずだ。」



*

　


　「 ……恋人に？ 」


　私が浮かべるのは困惑の色。
　それでも頬に触れた手を避けることもしないまま
　貴方の両の瞳を見つめる。

　恋心とはどんなものだっただろうか
　思い出せぬままに、恋人の振りをするのは


　

　


　「 ……うん、構わない。
　　 ��瀬里�≠熈�蓮司�≠烽ｻれを望むもの。 」


　流れていた涙が止まったから、
　きっと、そうなのだろう。


　「 ……改めて、っていうのもなんだけど
　　 雨宮瀬里です。……よろしく……？ 」


　きっと２回目の初めまして。
　はにかんだ笑顔は、営業スマイルなんかじゃない。
　

　


　「 恋人はじめに、もう少し、
　　 ドライブデート、しませんか。
　　 歌も、聞いていたいし、
　　 もう少し、話がしてみたいから。 」


　例えばひとつ先の駅まで。
　例えば乗り換えのターミナル駅まで。
　家までは、少し気が引ける距離だけど。

　もしもドライブデートが叶うなら、
　きっと最初から、お互いを知っていこうかな。
　私が陶芸を生業にしていることとか
　貴方は珈琲を好むとか、きゅうりが嫌いだとか

　他愛のない話を、いくらでも。

　 *
　

涙が止まったのを見て手を頬から離した。


　「 宮々蓮司だ。
　　 よろしく、っていうのも何か変だな。」


はにかむ瀬里に同じ様な笑顔を見せていたと思う。

　
　「 ドライブデートか。
　　 恋人の第一歩としてはいいかもな。」


そうと決まればシートベルトを着け直して、車を走らせようか。


お互いの知らないことを話しながら。
不思議な感覚は知らないのに新鮮味がないこと。


そんな他愛のない話。
無くした記憶を埋めていく様に。

そんな時間はきっとあっという間に過ぎていく。
そして気づけば瀬里の家まで辿り着いて、辺りはもう昏くなっていた。*

　

　記憶から抜け落ちてしまった欠片を拾い集める
　私たちにとっては初めて手に入れる欠片は
　新鮮味がなく、どこかすんなりと馴染んでいく

　隣の駅を越え、
　ターミナル駅を越え。

　記憶があいまいであっても
　私は正しく貴方に住所を伝えることが出来たはず

　だけどそんなことしなくたって
　ナビの履歴に残っていたかもしれないし


　

　

　街灯の少ない小さな町。
　こうして夜の助手席に座っていることも
　なんだか、初めてではないような感覚に陥る
　事実、初めてではないはずだから当然だけど

　貴方の左隣に居ることが、
　なんだか、至極��当たり前�≠ﾅあるかのような感覚。



　

　

　気づけば、私の家へとたどり着く。
　記憶がはっきりしている実家ではなく、
　記憶が朧げだった一人暮らしの小さなアパート。




　「 遠くまで、ありがとう 」


　すっかり辺りは昏くなってしまった
　途中お昼や休憩に立ち寄ったとはいえ
　随分と長いドライブデートをさせてしまって
　素直に…ほんの少し申し訳ない気分になったけど。

　

　


　「 蓮司さん、……あの、 」


　言葉を投げかけて、詰まらせて。
　何か言うべき言葉があった気がして、
　それでもそれは何処にも見つからなくて。

　

　

　その日の夜か、翌朝か。
　貴方と別れてからというものの
　貴方のことがどうしたって頭を離れず
　どこか熱に浮かされたような心地は続く。
　
　溜まっていた写真や、メールのやり取りから
　どうやら週末だけ私たちは会っていたようだし
　彼のことを、蓮司、と呼び捨てにしていたようだ

　貴方が居ない部屋で「蓮司」と呼んでみて
　なんだか恥ずかしくなって顔を赤らめたのは
　貴方が知らない私だけの秘密。

　
　『 また週末、会ってくれますか 』


　貴方に一文メールを送るだけでも、心が跳ねた。