人狼物語 三日月国


100 【身内RP】待宵館で月を待つ2【R18G】

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酷く寒い。
目が醒めて真っ先に浮かんだのはそれだった。身震いをして、自分の体を抱きしめながら外に出る。
自分の身に異変が起きる直前の出来事は、未だ思い出せていない。


「ああちょうどよかった。お前、今手が空いているなら白湯を……」

お気に入りの下女が廊下を掃除していたから声をかけた。何も返事がない。男は眉間に皺を寄せる。

「おい!聞いているのか、何の冗談だそれは。揶揄っているのなら今すぐそれを……」

手を伸ばし、肩を掴む。掴む筈だった。

すり抜ける。己の手が、うっすら透けて、触れないまま空を切る。

「………………え?」

歩く。声をかける。走る。声をかける。
誰もがこちらを見てくれない。誰もがこちらを認識してくれない。

「ッおい!聞こえないフリはよせ!何のつもりだ!タチの悪い冗談はやめろ!」

どいつもこいつも無視をする。ここで過ごした一年の間に沢山言葉を交わした者など何人も居る筈なのに。

「やめろ……やめろって、なあ。
 本当は聞こえているんだろう?わざと無視をしているんだろう?俺が機嫌を損ねるようなことでもしたのか?

 答えてくれよ、なあ!」

口元が引き攣る。冗談だと笑い飛ばしたくて、けれど視界に叩きつけられる現実はそう変わらなくて。笑みを作ろうとした唇は、綺麗に弧を描く事なく歪に戦慄いている。

ああ、
まただ。

知っている。この感覚はずっと自分の傍にあって、逃げたくても常に離れず纏わりついていた。

まるで透明人間になってしまったかのような扱いになったのに、世界はそれでも回り続ける。
才能もなく、努力も続かず、誰も見向きしてくれない平々凡々な吟遊詩人。

見慣れている。
この光景は見慣れている。

嫌というほど、知っている!

メモを貼った。

メモを貼った。

メモを貼った。

メモを貼った。

「誰か!誰か聞こえないのか!?
 僕が何かしたのか!?僕が何か悪い事でもしたっていうのか!?」


箍が外れたように叫びだす。口から出るのは美しい歌声でも世界各地の光景を描き出す詩でもない。
ただ、独りが耐えられない哀れな男の絶叫だった。

「どうしてこんなところに来てまで元いた場所の苦痛を味わう事になるんだ!
 なあ、なあ……誰か、僕を見てくれる人はいないのか!?

 あぁ……
あぁああぁ……ッ!!!


男は手入れが行き届いた濡羽色の髪をかきむしり、そのまま嗚咽を零してふらふらと消えていく。

逃げる場所なんて何処にもないのに。

メモを貼った。

何処かへと姿を消した。いてもいなくても、きっと変わらず世界は回り続ける。

目が醒めて、自分の異変に気づいて、耐えきれなくなって逃げ出したすぐのこと。

目眩がする。
どれだけ叫び、泣いて、暴れても。誰一人としてこちらを見てくれる人はいない。

昔からそうだった。
小さな酒場一つもろくに賑やかすことが出来なくて、センスも才能も無い吟遊詩人の声や竪琴に耳を傾けてくれる者などいやしない。
努力を続けるなんてことも出来なくて、すぐに酒と女に逃げては溺れる始末。
いてもいなくてもどうでもいい透明人間のようなものだった。

たまに視線が向けられていたとしても……それはろくでなしの自分を嘲笑うものだった気がする。
「気がする」と言うのは男が悲観的になるあまり見えないものまで見て聞こえないものまで聞いていたからだ。

皆が皆、自分を良くない目で見て馬鹿にするようなことを話しているんだ。

追い詰められた精神は、そうしてありもしない風評被害を勝手に描き出していく。自分で透明な場所に濁った何かを見出していく。

逃げるように館を彷徨い、その足は――時計塔へ。


この体は壁や床などはすり抜けられないけれど、人や小物は触れない。扉は何故かすり抜けられるから、開閉して何かを主張することも出来ない。

物が掴めないのなら酒に溺れて酔いに逃げることが出来なくなる。ずっと毎日のようにアルコールで思考を溶かしていた身としては、拷問が始まるのだろうかと言う心持ちだった。

そうした小さな考えが浮かんでは消えを繰り返し、足はいつしか時計塔の階段の終わりまで来ていた。技師が入るであろう部屋がまだあったけれど、既に高度はある。もう十分だ。

窓から顔を出す。
重苦しい濁った気分を抱えた自分の頬を、何も関係ないとばかりに風が撫でて走り去っていく。

いてもいなくても関係ないのなら、いっそ死んでしまったほうが楽なのでは?

縁に両手を置いて、体を前へ倒す。
地面があんなにも遠い。
叩きつけられたらきっと、自分は、自分は……。

「死ね」


「――ッ!!!」

ひゅ、と。喉が鳴る。


「いやだ、いやだ、いやだ……」


階段に蹲る。身を守るように体を丸め、がたがたと震えながら嗚咽を零す。
男は才能も努力を続ける根気もなかったけれど、勇気だって持っていなかった。

こんなところで死ねるほどの勇気があったなら、最初から酒と女に逃げる選択肢など取っている筈ないのだ。

怯える男の脳裏にとある光景が蘇る。蘇ってしまった。
命が潰える直前の記憶だ。

動けない。
何度も何度も命乞いをした。
ナイフが腹に突き立てられる。
泣いて喚いた。耐えられない痛みに絶叫した。
それで相手は満足したのか、より深く刃を差し込んでとどめを刺した。

思い出した。思い出してしまった。

「死にたくない、死にたくない……死にたくない……!」


それでも自分は一度、確かに死んだ。だからこんな事になっている。
死んだのに周り続ける世界にいなくてはならないなんて、悪夢以外の何者でもない。
じゃあどうしたらこれは終わるんだろう。
夢が醒めるには夜が過ぎ、朝が来る必要がある。
それなのにこの館は一向に夜が来ない。ずっとずっと、明るいまま。

酔いに溺れることも出来ず、来ない宵を渇望し続ける。

男は一人、寒さに震え続けた。

……



どれくらいそうしていただろうか。
もう一度覗き込んだ死の淵への怯えが鎮まり、体の震えの原因が強まる寒さだけになった頃。

「……あれは……」

ふと顔を上げ、窓から見える誰かを捉える。

キエがいる。彼は一体何をしている?
全く見当がつかない。
でも、あの何を考えているか分からないインチキ詐欺師探偵の動きは正直怖い。

「あいつ……あそこで、何を……」

ようやく腰を上げる。
なんだか酷く胸騒ぎがする。
行ったところで何かできるわけではないけれど、それでも、それでも……。

男は体を引き摺るように時計塔の階段を降り、外へと飛び出した。

走る。寒さはずっと残り続けたままだけど、そんなことも気にしていられなかった。

胸騒ぎが止まらない。
あの探偵が報酬としてW得体の知れない何かWを要求してくるのを知っている。自分もまた彼と契約してしまったからだ。

もしそれが、取り返しのつかないものだとしたら。
もしそれが、人の大切なものだとしたら。

「おい!やめろ、お前、そいつに何をするつもりだ……っ」

男は叫んで時計塔を飛び出す。
走る。走る。世界に無視をされていても、男は声を上げる。
届かなくても、叫ばずにはいられない。

「キエ!やめろッ、そいつに手を出すなッ!」


手遅れで、どうにもならなかったとしても。

か細い断末魔を聞いた。

「はっ、……はぁっ……ゲイザー……ゲイザー…………?」

一度死んで幽霊のような身になったのに、走れば息が上がる。肩を上下に揺らして呼吸を整えれば、何度か咳き込んだ。本気で走ったなんていつぶりだろう。怠惰に生きていたツケなのかもしれない。

男は裏庭までまだまだ遠いところにいる。
だから、裏庭から少女が出て来たところしか見ていない。キエとゲイザーが何をしていたのか男は知る由もない。

でも、か細い断末魔が聞こえた気がした。
勘違いかも知れない。けれど、『勘違い』で済ませたくない。

そうやって『勘違い』で透明にしてしまった者たちは、きっと何人いたのだろう。

「……ッ、ああクソッ!面倒だ面倒だ面倒だ!なんで僕だけこんなにあっちこっちに苦められなきゃいけないんだ!」

濡羽色の髪を掻きむしり、癇癪を起こしたように苛立たしげに叫ぶ。
しばらく自分勝手に喚き散らして、結局また咳き込んで。呼吸を整えるのに幾分か時間を費やしてから――男はまた駆け出した。

何か出来ることはないだろうか。
酒も手に取れないし竪琴も触れない。
何も出来ないかもしれない、でも何か出来るかもしれない。

何にも分からないから、確かめる。

あの探偵が余裕ぶっているのが気に食わない。
自分を殺した奴が今も尚笑っていると思うとそれも腹が立つ。
自分の知っている人達が自分のような文字通り死ぬほど苦しい思いをするのも嫌だ。

身勝手な男は、身勝手な理由で走り始めた。

自分の部屋に誰かが来たことをまだ知らない。

 




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